理念哲学講義録  天川貴之

真善美聖の「理念哲学」の核心を、様々な哲学的テーマに基づいて、わかりやすく講義したものです。

第10章「時空と絶対無について」【注解的続編】     天川貴之

〔注解的続編〕 ① 現代物理学の世界においても、現象界の宇宙創世は、「無」から始まったと言われている。 ②「絶対無」は、全てのイデアを包む場所である。 ③「無」をゼロとしたが、「絶対無」と「無」が違うように、「ゼロ」と「絶対ゼロ」は違う。 「絶対…

第10章「時空と絶対無について」第9節(2)       天川貴之

第9節 新時代の叡智的リーダーシップについて(2) 本当の叡智の立場に立って観ずるならば、すべてのすべては、これ理念である。絶対理念である。そして、すべてのすべてが、真、善、美、聖の価値に輝いて観えてくる。 そのような無の場所というものを、地…

第10章「時空と絶対無について」第9節(1)       天川貴之

第9節 新時代の叡智的リーダーシップについて(1) 真理を悟ったならば、偽りを捨て真理につき、善いものを悟ったならば、悪いものを捨てて善いものにつき、美なるものを悟ったならば、醜いものを捨てて美につき、そして、神聖なるものを悟ったならば、俗…

第10章「時空と絶対無について」第8節(2)       天川貴之

第8節 絶対光明の芸術意識としての「無」(2) しかし、同時に、自由意志を与えられた人間存在を中心とする三次元宇宙の劇は、様々な喜劇を生じ、様々な悲劇を生じ、様々な悲しみ、苦しみ、悩み、挫折、そのようなものも存在し、そのようなものを素材とし…

第10章「時空と絶対無について」第8節(1)       天川貴之

第8節 絶対光明の芸術意識としての「無」(1) 本当の愛というものは、絶対秩序と絶対平等を止揚しているところの絶対愛である。 その絶対愛を体現しようと思ったならば、理法を見抜く叡智が必要であるから、絶対叡智即絶対愛であると言える。 そして、そ…

第10章「時空と絶対無について」第7節(3)       天川貴之

第7節 絶対秩序の意識としての「無」(3) 地球になぜ、元々無かったところの九次元世界がつくられたのか。 地球になぜ、元々無かったところの八次元、七次元、六次元世界が創られたのか。 そして、なぜ元々無かったところの五次元世界が創られたのか。 ま…

第10章「時空と絶対無について」第7節(2)       天川貴之

第7節 絶対秩序の意識としての「無」(2) 時間の流れがあるのは、神の心の流れがあるからである。 すべてのすべてで、神は無であったわけであるから、時間はない。空間もない。 けれども、その中から念いが生まれた。そして、その言葉が、時間、空間をつ…

第10章「時空と絶対無について」第7節(1)       天川貴之

第7節 絶対秩序の意識としての「無」(1) と同時に、宇宙の本源意識というものは、秩序の意識である。 何故に、九次元と八次元が分かれているのか。何故に、八次元と七次元が分かれているのか。何故に、七次元と六次元が分かれているのか。何故に、六次元…

第10章「時空と絶対無について」第6節(3)       天川貴之

第6節 絶対肯定の意識としての「無」(3) 多次元宇宙には、空間として、様々な個性的空間が存在する。 そのすべての個性的なる空間を絶対肯定する立場が、「無」の立場である。 何事も、正統と異端、表と裏というものもあるが、表を絶対肯定し、裏を絶対…

第10章「時空と絶対無について」第6節(2)       天川貴之

第6節 絶対肯定の意識としての「無」(2) 我々は、多次元宇宙のすべてを否定してはならず、単純肯定してもならず、絶対肯定しなければならない。 三次元を絶対肯定する立場を、「光明荘厳」と言う。四次元存在を、四次元世界を絶対肯定する立場を「光明荘…

第10章「時空と絶対無について」第6節(1)       天川貴之

第6節 絶対肯定の意識としての「無」(1) 統合叡智というものは、広義の哲学というものは、その現象の奥に理念を見い出すこと、真理を見い出すこと、価値を見い出すことである。 何故、現象が現象としてあるのかという本源的なる問いに答えること、それが…

第10章「時空と絶対無について」第5節(3)       天川貴之

第5節 絶対創造の意識としての「無」(3) 宇宙は生まれたものである。それは、無が自己実現したものである。 宇宙が宇宙として存在するのは、無があるからである。中心があるからである。 無が無として機能しているからこそ、現象は消えずに残る。無がな…

第10章「時空と絶対無について」第5節(2)       天川貴之

第5節 絶対創造の意識としての「無」(2) 十一次元、十二次元、十三次元、十四次元、十五次元等、あらゆるものも、その本源は「無」である。 「次元」という立場に執われている限りは、「無」という本源に立ち還ることはできない。 銀河であるとか、また…

第10章「時空と絶対無について」第5節(1)       天川貴之

第5節 絶対創造の意識としての「無」(1) 光が様々な現象を創っているということは真実である。そして、光は「無」から生まれたということも、また真実である。 あらゆる光の源にあるものは、「無」である。この「無」から光が生まれた。この光が様々な次…

第10章「時空と絶対無について」第4節(2)       天川貴之

第4節 「無」の本質について(2) すべてのすべてである、「無」。 「無」であるということは、「有」としてのあらゆる限定をはずしたということである。あらゆる個性的限定をはずすと、あらゆる個性を超えた「無」になる。 Aという立場も、Aという立場…

第10章「時空と絶対無について」第4節(1)       天川貴之

第4節 「無」の本質について (1) ところで、この「ゼロ」というものは、如何なる本質を持っているのかということを考えた時に、これは、時間もまた無であり、空間もまた無である所の「場所」である。 そして、時間の本質と、空間の本質を真に洞察し、そ…

第10章「時空と絶対無について」第3節        天川貴之

第3節 宗教の立場から「無」を探究する 更に、宗教で言われる所の「無」もまた同じであり、時間論、空間論もまた、宗教の本質であり、特に、それが仏教において、思想的に深く広く出ているように思う。 仏教でいう所の「諸行無常」という真理は、すべての現…

第10章「時空と絶対無について」第2節(2)     天川貴之

第2節 科学の立場から「無」を探究する(2) 科学の世界で問題にされるところの時間論、空間論もまた、哲学で問題にされるところの時間論、空間論と同じである。 一般に、科学は現象を対象とするものであり、哲学は実在に始まる理念を対象とするものである…

第10章「時空と絶対無について」第2節(1)     天川貴之

第2節 科学の立場から「無」を探究する(1) 「無」というものは、科学的な立場から説明すると、「ゼロ」という概念に相当する。ゼロというものが無であり、無を数学的なる悟りをもって表現したものが、ゼロというものである。 数字というものは理念であり…

第10章「時空と絶対無について」第1節        天川貴之

第1節 宇宙の本源としての「無」 「時空と絶対無」について論じてゆきたい。 「無」というものを深く探究することは、宇宙の本源を探究するということと同じである。 宇宙というものは、外にあるばかりではなく、人間の心の内に、一人一人が宿しているもの…

第9章「経験と叡智的直観について」第9節(4)    天川貴之

第9節 統合哲学の時代(4) このような総合哲学、統合哲学を、新時代の立場として明らかに表明し、そして、新時代に至る源となったところの様々な哲学体系をすべて尊重し、その中の良いところを汲み出し、教訓と功罪両面を汲み出し、整理統合し、更に、あ…

第9章「経験と叡智的直観について」第9節(3)    天川貴之

第九節 統合哲学の時代(3) 「叡智的直観」を尊重し、その上で、「論理性」を尊重し、その上で、知識を尊重し、経験を尊重し、あらゆる認識の基盤を尊重すること、そこから、本当のトータルな包括的哲学体系が生まれるのである。 単なる経験論でもなく、単…

第9章「経験と叡智的直観について」第9節(2)    天川貴之

第9節 統合哲学の時代(2) であるから、身近な例を挙げれば、経験も大切である。そして、知識も大切である。 しかし、経験や知識だけですべてを推し量ってはならない。 経験というものは有限であり、個別的であり、また、知識というものも過去そうあった…

第9章「経験と叡智的直観について」第9節(1)    天川貴之

第9節 統合哲学の時代(1) 近代の哲学は「人間」から出発した。中世は「神」から出発した。 新時代は、絶対者たる神と、自由意志を与えられた絶対者の一部であるところの人間が、共同作業によって、叡智の全貌を解明してゆくことが、その中核となる時代と…

第9章「経験と叡智的直観について」第8節(3)    天川貴之

第8節 叡智的直観について(3) まず、直観ありきである。叡智的直観からすべては始まる。 あらゆる経験や知識を越えて最も尊いものは、仏教では般若の智慧と呼ばれているが、哲学もまた、般若の理性というもの、純粋理性というものが最も尊いものである。…

第9章「経験と叡智的直観について」第8節(2)    天川貴之

第8節 叡智的直観について(2) 真理が観える、理念が観えるということは、悟りがあるということである。 統合的理性は、内なる叡智は、外なる叡智を見抜く。内なる真理は、外なる真理を認識する。 相互作用という科学の言葉があるが、真理は真理と相互作…

第9章「経験と叡智的直観について」第8節(1)    天川貴之

第8節 叡智的直観について(1) 解らないということが解っただけで、人生というものは開けない。 解らないという謙虚な立場から出発しながらも、無知の知から出発しながらも、本当の叡智を求めて、本当のイデア、理念を求めて、限りなく飛翔してゆくのが、…

第9章「経験と叡智的直観について」第7節(6)    天川貴之

第7節 カント哲学の本質とその限界について(6) その不可知論を逆手にとって、カント以降、そのような理念の世界が存在しないというふうに流れ、解釈したのは、カントを卑小化し、カント哲学を、むしろ価値無き哲学としている考え方である。 カントの本心…

第9章「経験と叡智的直観について」第7節(5)    天川貴之

カント自身は勿論、実践理性批判の中で述べられている通り、理念を前提としているから、そこから要請されるところの人間観、世界観というものを構築している。 理念、もっと言えば、また、霊的現象というものも含まれるが、このようなものを前提としなければ…

第9章「経験と叡智的直観について」第7節(4)    天川貴之

カントは何を限界としたのか。その基準は人間である。近代的人間である。 近代的人間はどのようなものであったかというと、カント自身がそうであったように、信仰心というものを懐深く持ちながら、尚かつ、合理主義の要請に適うように、学問の領域において、…