理念哲学講義録  天川貴之

真善美聖の「理念哲学」の核心を、様々な哲学的テーマに基づいて、わかりやすく講義したものです。

第1章「無常と永遠について」

第1章「無常と永遠について」【注解的続編】(5)

【注解的続編】(5) ⑩ 本論文で述べる「実在」(理念)とは、絶対者のことである。これを、哲学的には「真理」、道徳的には「善」、芸術的には「美」、宗教的には「聖」と呼んでいるのである。 そして、「実在」(理念)とは、本来、真理そのものであり、…

第1章「無常と永遠について」【注解的続編】(4)

【注解的続編】(4) ⑨ 人間の内なる「永遠なるもの」が外に創造として顕現すると、同じく永遠なるものとなる。 プラトンが認識された真理は永遠なるものであるが故に、今日に到るまで永遠の生命を保ちつづけている。 それは、同時代にあった数多くの著作物…

第1章「無常と永遠について」【注解的続編】(3)

【注解的続編】(3) ⑦ 本論文では、仏教の三法印のうち、「諸行無常」の真理が中心に述べられていたが、その背後には、「諸法無我」の真理もあるといえよう。 「物質は本来ない」「肉体は本来ない」「心は本来ない」という真理は、あらゆる実体とみえた「…

第1章「無常と永遠について」【注解的続編】(2)

【注解的続編】(2) ④ 本論文では、人間の内なる実在性を証明するために、独自の認識論を用いている。 かつてプラトンは、感覚によって認識されるのは現象のみであり、理性によって認識されるのはイデアであると述べられているが、その背景にあるのは、認…

第1章「無常と永遠について」【注解的続編】(1)

【注解的続編】(1) ① 「心は本来ない」ということをこの論文では強調しているが、「真善美聖」など の実在(理念)が心の深奥なる部分にあるという考え方もある。 すなわち、実在(理念)は、心の本源なる光の源、いわば太陽のようなものであり、ここから…

第1章「無常と永遠について」第6節

第6節 究極の使命について 真なるもの、善なるもの、美なるもの、聖なるものの究極にあるのは、絶対者そのものであり、創造の根源そのものである。創造の根源は、単なる無ではない。それは、絶対なる無である。絶対なる根源なのである。それは、生命である…

第1章「無常と永遠について」 第5節

第5節 永遠なる実在について このように、人間の内奥を深く深く掘り下げてゆくと、永遠なる真理、永遠なる善の法則、永遠なる美、永遠なる聖なる神性が実在することがわかるのである。 すなわち、人間とは、肉体と心において無常であるが、その本源に永遠な…

第1章「無常と永遠について」 第4節

第4節 真善美聖と人間について 例えば、真の追求において、代表的なるものは哲学であろう。哲学の使命は、真理の探求にある。真理とは、永遠不変なるものである。それは、決して無常なるものではない。 人間は、自らが無常なる存在であるにもかかわらず、こ…

第1章「無常と永遠について」 第3節

第3節 永遠への憧れについて では、肉体と心が無常であり、本来ないものであるとすると、人間の存在とは仮象にすぎず、実在とは言えないのではないかと考えられてくる。 実在とは、無常を越えた永遠の存在である。しかし、この永遠なるものに、人間は古今東…

第1章「無常と永遠について」 第2節

第2節 人間と無常について それでは、地上に生きる人間自身はどうであろうか。肉体は、物質と同じく無常である。誕生して後、成長し、そして徐々に老い、そして死する存在である。肉体もまた、無常の大河の中で、無から生まれて、無に帰する存在である。す…

第1章「無常と永遠について」 第1節

第1節 万物と無常について 無常と永遠について論じてゆきたい。副題は、人間の使命ということである。 無常について考えてみるに、これほど人生にとって本質的な真理はないであろうと思われるものである。しかし、多くの方々は、無常なるものを無常なるもの…