理念哲学講義録  天川貴之

真善美聖の「理念哲学」の核心を、様々な哲学的テーマに基づいて、わかりやすく講義したものです。

第9章「経験と叡智的直観について」第7節(3)    天川貴之

そこで、哲学の原点であるところのプラトンの哲学というものを繙いてみた時に、その中には、スウェーデンボルグ的な霊界の現象というものが、数多く述べ伝えられていることに気がつく。 もともと哲学は、その源において、スウェーデンボルグに象徴されている…

第9章「経験と叡智的直観について」第7節(2)    天川貴之

第7節 カント哲学の本質とその限界について(2) カントと同時代に、スウェーデンボルグという方がいた。 スウェーデンボルグは、現代でいうところの霊能者としての霊体験を様々に積みながら、一方、前半生、実績を上げた科学者として、その自分自身が経験…

第9章「経験と叡智的直観について」第7節(1)    天川貴之

第7節 カント哲学の本質とその限界について(1) 現代の多くの知識人の方々が、どのような観点から、真理の獲得というものを位置づけておられるかということを大雑把に把握した場合、よく取られている立場が、カントの立場ではないかと思う。 カントの哲学…

第9章「経験と叡智的直観について」第6節(2)    天川貴之

その中で、カントの認識論というものが出てきた。合理論に対して、経験論というアンチ・テーゼが出てきた。それは、科学的精神というものが、経験的立場から主として近代に現れたところから源を発しているものである。 近代科学は、その方法論において、経験…

第9章「経験と叡智的直観について」第6節(1)    天川貴之

第6節 理性論の諸相について(1) プラトンに始まり、アリストテレスやプロティノスを経て、また、キリスト教の啓示的真理の把握方法を踏まえて、トマス・アキナスがギリシャ哲学と止揚した中世の哲学に流れ、アンチ・テーゼを唱えた合理論のデカルトが受…

第9章「経験と叡智的直観について」第5節(2)    天川貴之

真に人類の叡智を進化させる源となったものは、よくよく洞察してみれば、「直観」によって把握された真理の結論であるわけである。 「天才」というものの本質は、直観力にある。新時代の精神を直観的に把握するところから、新時代は始まってゆく。 新時代の…

第9章「経験と叡智的直観について」第5節(1)    天川貴之

第5節 直観と論理について 論理をただ単に積み重ねてゆくだけでは、本当の知的進歩というものもあまりないのである。 様々な論理学がある。アリストテレスの形式論理学もあれば、ヘーゲルの弁証法もある。 けれども、その論理の普遍的構造は一つであり、そ…

第9章「経験と叡智的直観について」第4節(2)    天川貴之

第4節 統合理性について(2) こうしたものをすべて統合するものは、理性であり、それを、「統合理性」と呼んでも良いものであり、この統合理性の中には、今まで深い感性と呼ばれていた直観もまた含まれるということを定義しておきたい。 即ち、合理的であ…

第9章「経験と叡智的直観について」第4節(1)    天川貴之

第4節 統合理性について(1) 西洋や現代における直観の定義というものは、感性の領域を主として捉えられているようではあるけれども、深い直観というものは、実は、五感の感性の働きを越えて、深い理念そのものから湧き出して止まぬところの「理性」に、…

第9章「経験と叡智的直観について」第3節(2)    天川貴之

第3節 知的直観について(2) 言葉で現しているものもロゴスであるならば、言葉で現さざるものもまたロゴスであり、言葉の有無を越えた永遠普遍のロゴスに到達するということが悟りの道であり、また、哲学的叡智の開闢の道であるわけである。 それを、日本…

第9章「経験と叡智的直観について」第3節(1)    天川貴之

第3節 知的直観について(1) 仏教における般若の智慧というものも、これは、直観的理性の働きであるといえるのである。 仏教においては、仏となる最後の修行であり、究極の完成したる修行である徳目は、般若波羅蜜多と呼ばれているが如く、般若の智慧の完…

第9章「経験と叡智的直観について」(2)    天川貴之

第2節 理性の働きについて 西洋の哲学においては、この理性の働きというものに着眼した初めての方は、プラトンであると言えるのである。 すなわち、真実なる理性的認識の大切さというものを、その眼目を説いた方は、プラトンであり、プラトンから哲学が始ま…

第9章「経験と叡智的直観について」(1)    天川貴之

第1節 真理の認識方法について 経験と叡智的直観について論じてゆきたい。 この地上で数多くの経験を積み、そして、その中で数多くの教訓を掴み、そして、それを真理として認識し、それを多くの方々に伝えてゆくということが、一般の社会で言われている真理…

第8章「現象と理念美について」(14) 天川貴之

【注解的続編】(2) ④ 精神の内奥なる理念美の顕現とは、いわば芸術的悟りであるといえる。 故に、悟りに多様なる境地と段階的階梯があるように、芸術的悟りにも、多様なる境地と段階的階梯があるといえるのである。 ⑤ こうした理念美の段階説は、プロティ…

第8章「現象と理念美について」(13) 天川貴之

〔注解的続編〕(1) ① 理念哲学の代表として挙げているプラトンやヘーゲルの哲学においても、自然の奥なる精神性、理念は、充分に探究されているとはいえない。 その中にあって、エマソンは、自然の奥に積極的に精神性、理念を認めているといえよう。 例え…

第8章「現象と理念美について」(12) 天川貴之

第10節 無限なる理念美へと飛翔し、表現せよ これまで、自然美と芸術美について考察してきたが、共にその根底にあるものが理念美であるという点において、またそれが、絶対者の美であるという点において一致している。 いうまでもなく、自然とは絶対者が創ら…

第8章「現象と理念美について」(11) 天川貴之

第9節 一見「美」の形式を崩した芸術の美について(2) では、これらの芸術観と理念芸術観は矛盾するのであろうか。 私は、そうではないと考える。 人生の本質も世界の本質も、「本質」であるという点において理念に入るので、これらの芸術もまた、理念芸…

第8章「現象と理念美について」(10) 天川貴之

第9節 一見「美」の形式を崩した芸術の美について(1) 以上、芸術の理念美について述べてきたが、芸術の中には、一見「美」の形式を崩したような美があるということについても探究しておきたい。 特に、現代芸術においてその傾向が多いが、その中には、一…

第8章「現象と理念美について」(9) 天川貴之

第8節 あらゆる芸術の頂点としての理念美について そして、同一の理念美を、絵画を通しても、彫刻を通しても、また音楽を通しても表現できるということは、絵画も彫刻も音楽も、同一のものの異なった顕れであるということができるのである。 故に、すべての…

第8章「現象と理念美について」(8) 天川貴之

第7節 芸術家の理念の輝きの段階性と多様性について このように、理念美というものは、芸術が究極において追究しているものである。 そして、前述したように、理念美にも、究極の理念美を頂点として、段階性と個性の多様性があるものであり、それを認識する…

第8章「現象と理念美について」(7) 天川貴之

第6節 芸術美の本質について 次に、芸術美について考察してゆきたい。一般に、芸術の本質は美の表現にあるといえる。では、美とはどこにあるものなのであろうか。 前述のとおり、究極の美とは、理念の顕れであり、究極の美とは、絶対者そのものである。 故…

第8章「現象と理念美について」(6) 天川貴之

第5節 理念美の段階性と個性の多様性について そして、この美にも段階の違いがあるといえるのであり、それは、理念に段階があるのと同じである。 本来の理念とは、絶対者そのものであり、真理そのものであるといえるが、同時に、理念にも顕現レベルに差があ…

第8章「現象と理念美について」(5) 天川貴之

第4節 エマソン哲学と理念認識について(2) そして、科学者は、一見、自然の現象を解明しているようにみえて、実はそうではないのである。 自然界の「法則」を発見するということは、現象の奥にある理念そのもの、絶対者そのものを認識することを本質とし…

第8章「現象と理念美について」(4) 天川貴之

第4節 エマソン哲学と理念認識について(1) 近代ロマン主義の芸術的思想家にエマソンがいる。彼は、何よりも自然に美を見い出し、高度な精神性を見い出している。 彼の思想の中においては、自然を、絶対者の象徴と把握している。そして、自然の象徴を解読…

第8章「現象と理念美について」(3) 天川貴之

第3節 シェリング哲学と現象と理念について このように、人間の精神と自然の内に、理念(絶対者)を叡智的直観によって認識できるとした哲学者にシェリングがいる。 シェリングの同一哲学は、人間と自然に同じ絶対者を見い出すことによって、人間と自然と絶…

第8章「現象と理念美について」(2) 天川貴之

第2節 カント哲学と叡智的直観について カントは、『判断力批判』の中で、この自然の奥なるものについて、「合目的性」という観点から解釈している。 しかし、主観的構成論の認識的立場から、人間の認識に限界を認め、自然の合目的性や美というものは、客観…

第8章「現象と理念美について」(1) 天川貴之

第1節 デカルト哲学と自然美について 現象と理念美について述べてゆきたい。 まず、美というものを、自然美と芸術美に分けて洞察してゆきたいと思う。 自然美についてであるが、何故、自然の内に美を見い出すことができるのかということについて考察したい…

第7章「知識と叡智について」(12)天川貴之

【注解的続編】(2) ④ ヘーゲルの絶対知とは、理念(絶対者)と自己とが一体であるという認識であり、真の意味で、理念(絶対者)そのものを知ることである。かかる知は、叡智の段階であるといえる。 彼は、歴史上の全哲学を自己の哲学的体系の中に位置づ…

第7章「知識と叡智について」(11)天川貴之

〔注解的続編〕(1) ① ショーペンハウアーの『思索』や『読書について』などの思索的断片は、主著の『意志と表象としての世界』以上に広く読まれたが、それは、ショーペンハウアーが知恵の段階にある哲学者であり、実践哲学の知恵に長けていたためであろう…

第7章「知識と叡智について」(10) 天川貴之

第10節 新時代を「叡智の結晶」として建設せよ 以上、論じてきたように、知の究極には、知識を超えて、知恵を超えて、叡智が実在するのである。 現代の知識社会を、新時代にむけて、より高度な知の社会へと変革してゆくためには、知恵の価値認識、そして何…