第1章「無常と永遠について」【注解的続編】(1)
【注解的続編】(1)
① 「心は本来ない」ということをこの論文では強調しているが、「真善美聖」など の実在(理念)が心の深奥なる部分にあるという考え方もある。
すなわち、実在(理念)は、心の本源なる光の源、いわば太陽のようなものであり、ここから、「真善美聖」の光が、心の本源から心の皮相に向けて射してくるという考え方である。これは、プロティノスの流出説に似ている。
この意味では、心にも段階的階層性があり、それぞれの顕現度合いに応じた「真善美聖」があるということになる。
しかしながら、本来の意味での永遠なる実在(理念)とは、心の本源、もしくは「心は本来ない」と断ち切った後に顕れる所の、真理そのもの、善の法則そのもの、美そのもの、神そのものにあるのである。
② プラトンは、ヘラクレイトス流の「万物は流転する」という現象の真理と、エレア学派流の「実在は永遠である」という超現象の真理とを止揚融合させて、イデア哲学体系をつくられた。
故に、プラトンの趣意と本論文のテーマである「無常と永遠」の趣意とは、その点において一致するのである。
③ 「空間のつながり」という言葉の意味は、仏教でいう所の空に通づるものがある。すなわち、空とは縁起であり、すべての空間は、自性なく、依他起性であり、縁起によって仮に成り立っている存在にすぎないという真理である。
その意味で、万物は「空間のつながり」によって仮に生じているものであり、本来無から生じ、無へと帰するものであり、本来ないものであるともいえるのである。
(つづく)