理念哲学講義録  天川貴之

真善美聖の「理念哲学」の核心を、様々な哲学的テーマに基づいて、わかりやすく講義したものです。

第1章「無常と永遠について」【注解的続編】(2)

 【注解的続編】(2)

 

 

④  本論文では、人間の内なる実在性を証明するために、独自の認識論を用いている。

 かつてプラトンは、感覚によって認識されるのは現象のみであり、理性によって認識されるのはイデアであると述べられているが、その背景にあるのは、認識における「相互作用」の原則なのである。

 人間の五官とは現象であり、現象によって認識される範囲は現象界のみであり、一方、イデアとは理性的実在であるから、人間の理性によって認識することができるのである。すなわち、人間の理性は、現象界を超えたイデア界を認識することができるのである。

 一方、この認識論は、カントの批判哲学によって限定が加えられるが、私自身は、ここではプラトン的な認識論に立ちたい。

 すなわち、イデア(理性的実在)を認識するのが人間の内なる理性であるように、永遠の真理を認識するものは人間の内なる永遠の真理であり、永遠の善を認識できるのは人間の内なる永遠の善であり、永遠の美を認識できるのは人間の内なる永遠の美であり、永遠の神を認識できるのは人間の内なる永遠の神なのである。

 

⑤  釈尊が、「法身」として、自らは法である、真理そのものであると語られたのも、釈尊が、法そのもの、真理そのものを直接認識されていたからであり、如来の「法身」のみが、よく法そのものを悟得し、説くことができるのである。

 また、ヘーゲルが、「私は真理そのものである」と述べられたのも、真理そのものと限りなく一体となった自己の哲学的境地を述べられたものといえよう。

 人間の内なる真理そのものが、よく真理そのものを認識し、説くことができるのである。

 

⑥  真理を学ぶ側にしても、真理の眼が開けていることが必要である。たとえ、そこに真理の本があっても、また、真理を説く人がおられたとしても、自己の内なる真理の眼が全く目覚めていないと「無」に等しいのである。

 そして、外なる真理は、内なる真理の眼が開けてくる度合いに応じて、その人の前に少しずつ真理を明らかにしてゆくこととなるのである。

 

(つづく)