第1章「無常と永遠について」【注解的続編】(3)
【注解的続編】(3)
⑦ 本論文では、仏教の三法印のうち、「諸行無常」の真理が中心に述べられていたが、その背後には、「諸法無我」の真理もあるといえよう。
「物質は本来ない」「肉体は本来ない」「心は本来ない」という真理は、あらゆる実体とみえた「我」が本来無いものであることを現しているのである。
そして、無常無我の真理を悟ることによって、本文でも述べられているように、無執着で自由で平安なる境地、涅槃寂静の境地が得られるのである。
⑧ 本論文では、仏教でいう三法印の真理よりも、もっと積極的な大真理について述べられている。
三法印の真理は、現象面の真理にウエイトがあり、現象の無常無我なる真理の上に、無執着の境地を導くことに主眼があった。
その真理も万人を救う真理であるが、その上に、実在面の真理にウエイトを置き、実在の永遠普遍を人間の内に見い出してゆく大真理がある。
この大真理は、人間を実在そのもの、真そのもの、善そのもの、美そのもの、聖そのものへと導く力を有している。
かかる境地は、いわば光明荘厳の境地とでもいうべきものであって、人間の経験しうる最高の境地であろうと思われる。
(つづく)