理念哲学講義録  天川貴之

真善美聖の「理念哲学」の核心を、様々な哲学的テーマに基づいて、わかりやすく講義したものです。

第2章「運命と自由意志について」第2節

 第2節  絶対的運命論について

 

 まず、第一の自由意志否定論、すなわち、絶対的運命論について検討してゆきたいと思う。

 大自然、大宇宙の動きを眺めてみると、すべては法則によって統べられ、必然的な因果関係の中に動いているといえるのである。その背後には、万物を創造し、万物を、その本性と法則によって知ろしめている超越的実在の存在が窺えるのである。もし、そうでなければ、万物がかくも芸術的に大調和しているはずがないと思われるのである。

 この現象界の大自然、大宇宙の必然的因果関係をみたときに、人間の自由意志の背後にもまた、必然性が隠されているのではないかと思われるのである。


 そこで考えられるのが、意志の原因という視点である。我々は、自由意志があるといっているが、すべてのものには原因があるはずである。ならば、自由意志といっているものにも原因があるのではないかということである。

 もしも、原因があるならば、その背景に原因・結果の連鎖があるならば、それは、自由意志とみえども、実はそうではないのである。自ら自由意志があると思って錯覚しているのにすぎないのである。


 ならば、意志の原因とは何であろうか。意志とは、人間の精神の領域に入るので、精神界において必然的な原因があるのではないかということである。精神界における意志の原因は、同じく精神的なる存在であろう。それは、プロティノスの述べる守護存在のようなものかも知れない。また、キリスト教キリスト教における天使のようなものかも知れない。

 しかし、私がここで問題にしているのは、そうした精神的存在よりもはるかに超越した根源的な意志なのである。こうした根源的な意志の前では、人間と同じく、守護存在や天使でさえも、その自由意志を失い、いわば劇場の登場人物の如く、あやつり人形の如くなってしまうのである。


 すべての意志を根源的に支える原因がある、すべての背後には、原因となる実在があるということである。こうした永遠なる大存在が、超越的実在として人間を背後から動かしていると考えるとすれば、結局のところ、大宇宙とは、大自然とは、そして、人間の営みとは、超越的実在の物語であるといえるのである。超越的実在の創造作品であるといえるのである。


 しかし、そうした視点からみると、人間の営みも達観でき、あらゆる歴史を超越的実在の芸術作品として限りなく愛することができるのである。それは、あの大自然と大宇宙の如き、崇高なる必然性の美を感じさせるものとなるであろう。

 そうした絶対的運命というものを、平静心をもって受け止め、自らに割り当てられた配役を泰然としてこなしてゆくのである。そこにも、人間の幸福の境地があるかも知れない。これが、絶対的運命論の世界観をもとにした人生観のあり方であろうと思う。

 

(つづく)