第2章「運命と自由意志について」第3節(2) 天川貴之
第3節 自由意志の存在根拠について(2)
故に、超越的実在の意志の下に、本来悪は存在しないのである。本来善のみが世界の本質なのである。しかし、人間の自由意志の迷いの結果、悪が生じているのである。
また、人間に自由意志があるからこそ、悪の結果として、罪や責任を感じたり、反省を行うことが可能なのである。また、良心の呵責というものも存在するのである。
また、人間が自由意志によって、善をなすことも悪を犯すこともあるということを前提にして、人間の道徳や倫理が成り立つのである。
また、「自由意志」の存在を知っているのは人間だけである。かかる自覚があること自体、自由意志を与えられている証ではないだろうか。
さらには、幸福という点から考えてみても、自発性の自由、選択の自由、創造の自由などがあってこそ、人間に真なる幸福があるのではないだろうか。
すべてが運命によって決まっていて、それをなすだけならば、そこに、人間的な喜びの大半はなくなってゆくのではないだろうか。
すなわち、自由意志があること自体、人間の幸福の基なのである。人間の幸福という観点からも、自由意志の存在は、大きく肯定されなければならないのではないかと思う。
超越的存在もまた、人間に最高の幸福を与えるために、自由意志を与えられたのではないだろうか。
それによって、確かに時々は悪を犯すことがあるであろうが、人間の内なる理性に基づき、大局においては、軌道修正されてゆくことを期待されているのではないだろうか。
このように考えてゆくと、絶対的運命論は、真理として不充分であり、相対的運命論こそが、尊厳ある人間にとって大切ではないかと思えてくる。
(つづく)