第2章「運命と自由意志について」第6節(1) 天川貴之
ところで、人間の運命というものは、どの程度決定されているのであろうか。その際に大切になるのは、個人個人が宿している理念に、どれ程忠実に自己実現できたかということが大きいのである。
また、精進によって、理念をより一層顕現させてゆけばゆく程に、運命の源である超越的実在の力を多く受け継ぐことができるので、より善い運命を拓くことができるし、精進を怠れば、理念はあまり顕現せず、運命の源である超越的実在の力を少なく受け継ぐのみなので、あまり善い運命が拓けてこないことが多いのである。
ここで述べられている精進には、内なる理念の属性をそれぞれ磨くことがあげられる。第一には真、すなわち哲学的真理の探究であり、第二には善、すなわち道徳的善の実践であり、愛の実践でもある。第三には美、すなわち芸術の創造であり、第四には聖、すなわち敬虔なる信仰心をもつことである。
こうした理念である真善美聖を磨いてゆくことが、精進して理念を磨いてゆくことにつながり、理念は磨かれれば磨かれる程に光を放ち、輝き出すのである。
これを、エマソン等は「内なる光」と呼んでいる。こうした内なる光をもって、己が人生を照らし、世界を照らしてゆくことが大切なのである。
「天は自ら助くるものを助く」という。精進に精進を重ね、己が理念を磨いていった者には、運命も、より素晴らしいシナリオを呈示するのである。
このように、運命にはいくつものシナリオがあり、理念を通して、個人は運命を選択し、運命を創ることも可能なのである。また、そこに、人間の自由意志の真骨頂があるといえるのである。
世界は、超越的実在と同じ本質を持つ人間存在によって創造されてゆくのである。大いなる超越的実在と共に運命を創ってゆく力があることが、人間最高の福音である。
(つづく)