第2章「運命と自由意志について」【注解的続編】(2)
【注解的続編】(2)
⑤ 絶対的運命論という観点からいえば、古代ギリシャにおいては、かかる思想が優勢であったといえよう。その代表的作品の一つが、本論文の冒頭でとりあげたソフォクレスの『オイディプス王』である。
そもそも戯曲というものは、作者があたかも超越的実在の立場に立って、登場人物のすべての意志を決定し、ストーリーを決定するのであるから、作者に絶対的運命論を想起させざるを得ないのではないかと思われる。こうした運命観の傾向は、近代のシェークスピアの戯曲にも出ていると思われる。
古代ギリシャの名言に、「あらかじめ定められていることは、必ずおこる。ゼウスの神の広大な心は犯すべからざるものである」というものがある。古代ギリシャの人々は、宗教的信仰心によって運命観が規定されていたようである。
⑥ 宗教的信仰心と運命観という問題においては、古代ギリシャのみならず、キリスト教でも同様の思想が見られる。特に、プロテスタントのルターの「奴隷意志論」やカルバンの「予定説」などの思想には、絶対的運命論の思想が色濃く流れている。
そもそも、キリストの生涯を考えてみるに、旧約聖書で預言者が、キリストの出現と生涯を予言されたのを受けて、自ら「予言が成就されるために」という言葉を残されて、従容として十字架にかかられるのであるから、その背後には、神の計画とその実現という絶対的運命観の思想が流れているといえよう。
⑦ 本論文の絶対的運命論に限りなく近いものとしては、哲学的に代表的なものとして、スピノザの哲学が挙げられる。彼は、神、すなわち超越的実在を唯一の実体とし、人間には独自の実体性を認めなかった。そして、神のみが唯一の意志の原因であり、それを源として、原因結果の必然的連鎖の中で、人間の意志が決定されると考えたのである。
(つづく)