理念哲学講義録  天川貴之

真善美聖の「理念哲学」の核心を、様々な哲学的テーマに基づいて、わかりやすく講義したものです。

第2章「運命と自由意志について」【注解的続編】(4)

 

⑬  本論文では、理性的存在者は自由意志を有していると論じられているが、理性と自由意志との関係については、まだまだ探究の余地があるといえよう。

 特に、理性を源とする自由意志が、なぜ自己本性である理性に従わずに、理性と対極にある所の煩悩に惑わされることがあるのかという点については、深い洞察が必要である。

 ここでは、自由意志が自由である限り、本来の源である理性に合致した選択もできれば、本来の源に反する煩悩に合致した選択もできるということにとどめておきたい。


  
⑭  ここで、ヘーゲルの合理哲学やカントの合理哲学と、ショーペンハウアーの盲目的意志の哲学は止揚できるのではないかという点について述べておきたい。

 ショーペンハウアーが盲目的意志を論じられているのは、主として人間の内なる煩悩であると考えれば、ショーペンハウアーが「意志の否定」と名付けたのは、実は煩悩の滅却であって、その上で、カントやヘーゲルの述べる真なる理性が出現してくるのである。

 すなわち、煩悩を有していることも人間の真実であり、同時に、その奥に理性を有していることも人間の真実なのである。この両方を観じないと、真なる人間性は把握できないと思われる。

 

⑮  自由意志肯定論の中で、「内なる理念」というのは、各自の内に個性的に割りあてられた理性のことである。

 この「内なる理念」には、無限の個性の差と無限の顕現レベルの差があり、多様なものである。しかし、この多様なる理念は、一なる理念、唯一なる超越的実在から派生したものであるのである。

 

⑯  カントの論じられた内なる理性とは、万人に共通な点が強調されているが、私の論じている内なる理性とは、各自が固有の理念として、万人に共通な基盤を持ちながらも、それぞれ唯一無二である点が強調されているのである。

 

(つづく)