理念哲学講義録  天川貴之

真善美聖の「理念哲学」の核心を、様々な哲学的テーマに基づいて、わかりやすく講義したものです。

第3章「快楽と幸福について」第2節          天川貴之

 第2節 快楽と苦について

  

 しかし、よくよく自分達の内なる理性の声に耳を傾けてほしい。理性の声とは、母なる大自然の声でもある。

 理性の声はこう言うであろう。「あなたは本当には幸福ではない。あなたの真実なる心は、むしろ苦しんでいるのだ。大自然の摂理に帰れ」と。人間は、理性から離れて、大自然の摂理から離れて、本当には幸福になることは出来ない。

 理性なき快楽の追求は、むしろ不幸の源となることが多いのである。世の中には、不自然な欲求の追求の結果、病気になって、また、貧乏になって身を持ち崩す人も多い。また、数々の欲求を達成することが出来ずに、心に苦しみをつくることも多い。

 いや、快楽追求を人生の目的としていること自体、ほかの理性にかなった人生の目的を持てないで、快楽の中をさまよっていること自体、心にとっては苦しみ以外の何ものでもないのだ。

 心は良心を有している。理性を有している。そして、理性にかなう方向に心を伸ばしていってこそ、苦しみから脱し、幸福になることが出来るのである。

 この様に、快楽の中における人間の生存は「苦」である。快楽という「楽」に対して「苦」というのは逆説的に聞こえるかも知れないけれども、心の本質を深く洞察していくと、快楽の中に幸福があるというのは、自己認識の誤りであって、快楽の中に苦しみがあるというのが本当の姿なのである。

 もちろん、ここで述べる快楽とは、大自然の摂理にかなった快楽を享受することではなくて、大自然の摂理に反した過度の快楽を追求してゆくことである。

 故に、人間は、理性によって、過度になりがちな本能的欲求を統御し、ストイックに生きていくことが、大自然の理法にかなう幸福の道の第一歩なのであるといえよう。

 しかし、世の中を見渡してみると、あまりにも快楽追求の中に人生を送っておられる方が多いのである。また、それを当然とする社会風潮があるのである。

 街中を歩いてみると、あちらにもこちらにも、刹那的な快楽に溺れた人々が、深い人生観も持たず、地中に根をおろすことなく、漂っておられるのが見えるのである。そして、自らは気づくことなく、自分の心を深く傷つけ苦しませながら、人生を送っておられるのである。

 

(つづく)