第3章「快楽と幸福について」第4節 天川貴之
第4節 快楽と幸福について
自らの心の本質を知ろうと思えば、まず自らの理性を磨いていくことである。理性を磨けば磨く程に、真実の世界が観えてくる。ありのままの真実がわかってくるのである。その時に、快楽と幸福とは別物であるということがわかってくるのである。
本能的欲求を、快楽としてどんなに求めていっても本当の幸福は得られず、理性的欲求を求めていった時に、本当の幸福というものが得られるとわかるのである。そして、理性的幸福を追求し、味わう程に、本能的快楽が色あせて見えるである。
多くの人々は、快楽をも幸福と呼んでいるが、それを前提として述べると、様々な幸福にも歴然とした段階があるのである。そして、より高次の幸福を追求すればする程、低次の幸福は色あせて見えてくるのである。
すなわち、より低次な幸福にとどまっているということは、より高次な幸福を味わっていないからであるといえるのである。
もう一度、快楽と幸福を分けて考えてゆくとしよう。本能的快楽は、追求すればする程に苦しみに変わっていくといえるが、理性的幸福とは、追求すればする程に、より一層の素晴らしい幸福感が得られるものなのである。
また、本能的快楽が無常で刹那的であるのに対し、理性的幸福は永遠である。理性とは永遠につながっているものであるから、理性的幸福を求めた者は、永遠の幸福にあづかることが出来るのである。
さらには、本能的快楽がどんなに追求しても底が浅いのに対し、理性的幸福は無限である。理性とは無限につながるものであるから、理性的幸福を求めた者は、無限の幸福にあずかることが出来るのである。
(つづく)