第3章「快楽と幸福について」〔注解的続編〕(2) 天川貴之
〔注解的続編〕(2)
③ 性欲についてであるが、性欲の根源にあるものは、大自然の摂理であり、自然なものは肯定されるべきであり、全面否定することが真のストイシズムではない。
ただし、性の欲求というものは、フロイトがすべての人類の営みの根底にあるものと据えられたように、非常に根源的で強い欲求であるといえるので、適正さを失い、統御を誤ると、人生を暗い淵に導くことにもなりかねないものである。
飽くことのない性欲の追求は、多くの場合、身をもち崩すことになりやすいが、それ以前に、良心を傷つけることになる。過度の性欲の追求の後には虚しさが残ることが多いが、それは、良心が傷ついていることをあらわしているのである。
故に、性欲は、良心にかなう適度なものをもって、足ることを知るべきなのである。
さらには、恋や愛の感情と調和してゆくことが大切である。恋や愛のない性欲だけの恋愛感情は、偽物の恋愛である。
真の恋愛とは、相手の美点を理想化することによって、自己の魂を飛翔させることができ(恋)、相手の立場に立ち、自分以上に相手を思いやり、優しくなることができる(愛)。
たとえ根底に性欲があったとしても、この恋と愛こそが、人間の愛欲を文化たらしめ、人生を崇高なる芸術たらしめるものなのである。
故に、恋や愛を忘却する程の性の追求は、人間として恥ずべきであり、性に関しては、適切なストイシズムをもちながら、恋と愛の感情を育ててゆく所に、本来的な性のあり方があると思う。
また、現代によく見られる不倫などの行為は、家庭という理想卿を崩壊させる行為であるので、また、古来よりのキリスト教や仏教などの性道徳にも反するように、自然法に反することなので、慎まなければならない。
現代にこそ、本当の意味での性欲のストイシズムの復権が望まれているのであると思う。
(つづく)