第4章「存在と実在について」第3節 天川貴之
第3節 無執着の認識について
第二段階として、我々の地上的なる欲望を統御して、地上的なる執われから自由になった段階である。ストア哲学の意図する所も、地上的な欲望から精神を解放することであって、それこそが、真なる幸福の道であるといわれているのである。
プラトンもまた、物質的なる束縛から自由になることによって、真の幸福のみならず、真の認識を得ようとされたのである。
さて、物質的なる欲望から自由になってみると、今まで確固として実在の如く認識されていたものが、すべて夢幻の如くはかなく、移ろいゆくものとして、色あせて観えてくるのである。
そして、今まで物質的なるものを実在の如く思い込んでいたことが、一種の錯覚であり、それは、本当に「有るもの」ではなく、実は、仮に有るものにすぎないことが分かってくるのである。
ここでは、今まで実在と思えてきたこの世的な物質的なるものが、実在性のない単なる「存在」でしかないことを認識するのである。
このように、存在と実在との関係は相対的であり、それを認識する者の心境によって変わってゆくものであるといえるのである。
(つづく)