理念哲学講義録  天川貴之

真善美聖の「理念哲学」の核心を、様々な哲学的テーマに基づいて、わかりやすく講義したものです。

第5章「唯物学術と理念学術について」(10)

 【注解的続編】(4)

 

六、「理念経済学」について

 

(理念的歴史観について)
• ヘーゲルは、歴史には絶対者の法則が存在し、歴史とは、絶対者の本質、すなわち、「理念」が実現されてゆくプロセスであると考えられた。

• これを経済学にあてはめて考えてみると、経済史(経済現象の連続)には、絶対者の法則が存在し、「理念」が実現されてゆくプロセスであるとする理念経済学が考えられる。これは、ヘーゲル哲学の経済学への応用であるともいえる。

• 絶対者の「理念」とは、「かくあるべし」として当為的規範の形で実在し、それを、経済史の中で、特に絶対者の「理念」を把握し、体現した「理念経営者」によって、実現されてゆかなくてはならない。

 かくして、「理念経済学」と「理念経営学」とは、不即不離の関係で樹立されなくてはならないのである。

• マルクスは、経済史の中に法則を見い出す経済学を創出されたが、歴史の原動力を、絶対者の「理念」ではなく、物質の「経済関係」に置きかえた点で、大きく経済学の正当な発展を遅らせたのである。

 

(理念論的弁証法について)
• さらに、歴史の発展の原動力となる弁証法についても、マルクスは、「唯物論弁証法」を揚げられたが、これも、本来の「理念論的弁証法」に置きかえ直さなくてはならない。あくまでも、理念哲学をその根本とした経済学への応用哲学でなくてはならないのである。

 

(理念自由主義その他について)
• 他に、マルクスの「暴力革命」、「労働価値説」、「結果平等」、「計画経済」等についても、それぞれ「思想革命」(ペンによる革命)、「理念価値説」、「機会平等」、「理念自由主義」等に置き換えられなくてはならないであろう。

 

プラグマティズムの位置づけについて)
• さらには、理念中心主義に対しては、プラグマティズムによる補強の精神も大切であると思われる。

 

(祝福の経済思想について)
• また、マルクスの「豊かなブルジョワジー」に対する「貧しきプロレタリアート」の闘争(嫉妬)という図式は、「無限供給(理念)の体現者」に対する敬い(祝福)という図式に変革されるべきであろう。

 

(アダム=スミス経済学とマルクス経済学の止揚について)
• アダム=スミスの「神の見えざる手」という思想も、結局のところ、経済史、もしくは経済現象の背後にある絶対者の「理念」のことであり、ここにおいて、理念経済学は、アダム=スミス経済学とマルクス経済学を止揚統合することができるのである。

 

(つづく)