理念哲学講義録  天川貴之

真善美聖の「理念哲学」の核心を、様々な哲学的テーマに基づいて、わかりやすく講義したものです。

第9章「経験と叡智的直観について」

第9章「経験と叡智的直観について」第9節(4)    天川貴之

第9節 統合哲学の時代(4) このような総合哲学、統合哲学を、新時代の立場として明らかに表明し、そして、新時代に至る源となったところの様々な哲学体系をすべて尊重し、その中の良いところを汲み出し、教訓と功罪両面を汲み出し、整理統合し、更に、あ…

第9章「経験と叡智的直観について」第9節(3)    天川貴之

第九節 統合哲学の時代(3) 「叡智的直観」を尊重し、その上で、「論理性」を尊重し、その上で、知識を尊重し、経験を尊重し、あらゆる認識の基盤を尊重すること、そこから、本当のトータルな包括的哲学体系が生まれるのである。 単なる経験論でもなく、単…

第9章「経験と叡智的直観について」第9節(2)    天川貴之

第9節 統合哲学の時代(2) であるから、身近な例を挙げれば、経験も大切である。そして、知識も大切である。 しかし、経験や知識だけですべてを推し量ってはならない。 経験というものは有限であり、個別的であり、また、知識というものも過去そうあった…

第9章「経験と叡智的直観について」第9節(1)    天川貴之

第9節 統合哲学の時代(1) 近代の哲学は「人間」から出発した。中世は「神」から出発した。 新時代は、絶対者たる神と、自由意志を与えられた絶対者の一部であるところの人間が、共同作業によって、叡智の全貌を解明してゆくことが、その中核となる時代と…

第9章「経験と叡智的直観について」第8節(3)    天川貴之

第8節 叡智的直観について(3) まず、直観ありきである。叡智的直観からすべては始まる。 あらゆる経験や知識を越えて最も尊いものは、仏教では般若の智慧と呼ばれているが、哲学もまた、般若の理性というもの、純粋理性というものが最も尊いものである。…

第9章「経験と叡智的直観について」第8節(2)    天川貴之

第8節 叡智的直観について(2) 真理が観える、理念が観えるということは、悟りがあるということである。 統合的理性は、内なる叡智は、外なる叡智を見抜く。内なる真理は、外なる真理を認識する。 相互作用という科学の言葉があるが、真理は真理と相互作…

第9章「経験と叡智的直観について」第8節(1)    天川貴之

第8節 叡智的直観について(1) 解らないということが解っただけで、人生というものは開けない。 解らないという謙虚な立場から出発しながらも、無知の知から出発しながらも、本当の叡智を求めて、本当のイデア、理念を求めて、限りなく飛翔してゆくのが、…

第9章「経験と叡智的直観について」第7節(6)    天川貴之

第7節 カント哲学の本質とその限界について(6) その不可知論を逆手にとって、カント以降、そのような理念の世界が存在しないというふうに流れ、解釈したのは、カントを卑小化し、カント哲学を、むしろ価値無き哲学としている考え方である。 カントの本心…

第9章「経験と叡智的直観について」第7節(5)    天川貴之

カント自身は勿論、実践理性批判の中で述べられている通り、理念を前提としているから、そこから要請されるところの人間観、世界観というものを構築している。 理念、もっと言えば、また、霊的現象というものも含まれるが、このようなものを前提としなければ…

第9章「経験と叡智的直観について」第7節(4)    天川貴之

カントは何を限界としたのか。その基準は人間である。近代的人間である。 近代的人間はどのようなものであったかというと、カント自身がそうであったように、信仰心というものを懐深く持ちながら、尚かつ、合理主義の要請に適うように、学問の領域において、…

第9章「経験と叡智的直観について」第7節(3)    天川貴之

そこで、哲学の原点であるところのプラトンの哲学というものを繙いてみた時に、その中には、スウェーデンボルグ的な霊界の現象というものが、数多く述べ伝えられていることに気がつく。 もともと哲学は、その源において、スウェーデンボルグに象徴されている…

第9章「経験と叡智的直観について」第7節(2)    天川貴之

第7節 カント哲学の本質とその限界について(2) カントと同時代に、スウェーデンボルグという方がいた。 スウェーデンボルグは、現代でいうところの霊能者としての霊体験を様々に積みながら、一方、前半生、実績を上げた科学者として、その自分自身が経験…

第9章「経験と叡智的直観について」第7節(1)    天川貴之

第7節 カント哲学の本質とその限界について(1) 現代の多くの知識人の方々が、どのような観点から、真理の獲得というものを位置づけておられるかということを大雑把に把握した場合、よく取られている立場が、カントの立場ではないかと思う。 カントの哲学…

第9章「経験と叡智的直観について」第6節(2)    天川貴之

その中で、カントの認識論というものが出てきた。合理論に対して、経験論というアンチ・テーゼが出てきた。それは、科学的精神というものが、経験的立場から主として近代に現れたところから源を発しているものである。 近代科学は、その方法論において、経験…

第9章「経験と叡智的直観について」第6節(1)    天川貴之

第6節 理性論の諸相について(1) プラトンに始まり、アリストテレスやプロティノスを経て、また、キリスト教の啓示的真理の把握方法を踏まえて、トマス・アキナスがギリシャ哲学と止揚した中世の哲学に流れ、アンチ・テーゼを唱えた合理論のデカルトが受…

第9章「経験と叡智的直観について」第5節(2)    天川貴之

真に人類の叡智を進化させる源となったものは、よくよく洞察してみれば、「直観」によって把握された真理の結論であるわけである。 「天才」というものの本質は、直観力にある。新時代の精神を直観的に把握するところから、新時代は始まってゆく。 新時代の…

第9章「経験と叡智的直観について」第5節(1)    天川貴之

第5節 直観と論理について 論理をただ単に積み重ねてゆくだけでは、本当の知的進歩というものもあまりないのである。 様々な論理学がある。アリストテレスの形式論理学もあれば、ヘーゲルの弁証法もある。 けれども、その論理の普遍的構造は一つであり、そ…

第9章「経験と叡智的直観について」第4節(2)    天川貴之

第4節 統合理性について(2) こうしたものをすべて統合するものは、理性であり、それを、「統合理性」と呼んでも良いものであり、この統合理性の中には、今まで深い感性と呼ばれていた直観もまた含まれるということを定義しておきたい。 即ち、合理的であ…

第9章「経験と叡智的直観について」第4節(1)    天川貴之

第4節 統合理性について(1) 西洋や現代における直観の定義というものは、感性の領域を主として捉えられているようではあるけれども、深い直観というものは、実は、五感の感性の働きを越えて、深い理念そのものから湧き出して止まぬところの「理性」に、…

第9章「経験と叡智的直観について」第3節(2)    天川貴之

第3節 知的直観について(2) 言葉で現しているものもロゴスであるならば、言葉で現さざるものもまたロゴスであり、言葉の有無を越えた永遠普遍のロゴスに到達するということが悟りの道であり、また、哲学的叡智の開闢の道であるわけである。 それを、日本…

第9章「経験と叡智的直観について」第3節(1)    天川貴之

第3節 知的直観について(1) 仏教における般若の智慧というものも、これは、直観的理性の働きであるといえるのである。 仏教においては、仏となる最後の修行であり、究極の完成したる修行である徳目は、般若波羅蜜多と呼ばれているが如く、般若の智慧の完…

第9章「経験と叡智的直観について」(2)    天川貴之

第2節 理性の働きについて 西洋の哲学においては、この理性の働きというものに着眼した初めての方は、プラトンであると言えるのである。 すなわち、真実なる理性的認識の大切さというものを、その眼目を説いた方は、プラトンであり、プラトンから哲学が始ま…

第9章「経験と叡智的直観について」(1)    天川貴之

第1節 真理の認識方法について 経験と叡智的直観について論じてゆきたい。 この地上で数多くの経験を積み、そして、その中で数多くの教訓を掴み、そして、それを真理として認識し、それを多くの方々に伝えてゆくということが、一般の社会で言われている真理…