第6章「厭世観と楽天観について」第4節(1)
第4節 人生の諸段階の弁証法的考察について(1)
それでは次に、厭世観と楽天観における人生の諸段階の弁証法的考察を論じてゆきたいと思う。
まず、あまり人生を経験しないで、人生を深く見つめない段階における楽天観がある。
この楽天観は、底の浅い楽天観である。これは、人生と世界に対する単純肯定の時代であるといえよう。
この段階においては、多くの場合、自己肯定的な快楽的人生を送っている人が多い。
しかし次に、人生の途上で様々な苦悩を経験することによって、人生を深く見つめ、特に、人間と世界の暗黒部(例えば、エゴイズム、煩悩)を洞察することによって、厭世観をもつ段階がある。
この厭世観は、ある程度、底の深い厭世観である。これは、人生と世界に対する単純否定の時代であるといえよう。
この段階においては、多くの場合、自己否定的な求道的人生を送っている人が多い。
人生を真剣に探究する文学者や哲学者や宗教家が、暗い人生観、世界観をもっていることが多いのは、人生を深く探究した結果、人生の暗黒面の真実が洞察されているからでもあり、同時に、そこから抜けられないからである。
(つづく)