理念哲学講義録  天川貴之

真善美聖の「理念哲学」の核心を、様々な哲学的テーマに基づいて、わかりやすく講義したものです。

第6章「厭世観と楽天観について」第6節

 第6節 大楽天観の哲学

 

 究極の絶対者の御心は、遠大で深遠で、何故にかくの如き人間と世界を創られたのかは充分に忖度しえない。

 しかし、徹底的なる叡智と愛の実在であられるから、必ず、地上の人生と世界の形式の裏には、遠大で深遠なる意志があられるはずなのである。

 私が探究出来たことは、煩悩的実存の人生の本質、世界の本質は「苦」であるという現象の真理と、理性的実存の人生の本質と、世界の本質は「法楽」であるという理念の真理の両方があるということであり、前者が厭世観の源となりやすく、後者が楽天観の源となりやすいということである。

 さらに、究極の絶対者は、すべての人生と世界の幸と不幸、光と闇とをすべて包みながら、すべてを限りなく成長させてゆき、同時に、限りなく芸術的に昇華してゆかんとされているのではないかということである。

 かかる究極の絶対者を人生と世界の根底に把握することが出来たならば、限りなく積極的に人生を生きてゆくことことが出来るのである。

 そこに、現象の真理である厭世観も、理念の真理である楽天観も大きく包んだ、大楽天観の哲学が生まれるように思うのである。

 この大楽天観の哲学は、大いなる究極の絶対者の御心を忖度したものであり、その真髄は、「芸術的発展」にあるといえよう。

 限りなく成長発展してゆきながら、その過程で限りなく芸術的であること、かかる観点から人生と世界を観じてゆき、すべての与えられた存在を、すべて「よきもの」として積極的に受けとめてゆくこと、そして、かかる観点から、「すべての経験を『よきもの』である。」と大楽天的に観じ、芸術的に発展してゆくという視点が大切であると思う。

 大楽天観の前では、すべてが光であり、すべてが真であり、善であり、美であり、聖であり、そして、すべてが絶対者の栄光の顕われなのである。

 

(つづく)