理念哲学講義録  天川貴之

真善美聖の「理念哲学」の核心を、様々な哲学的テーマに基づいて、わかりやすく講義したものです。

第9章「経験と叡智的直観について」(1)    天川貴之

  第1節 真理の認識方法について

 

 経験と叡智的直観について論じてゆきたい。

 この地上で数多くの経験を積み、そして、その中で数多くの教訓を掴み、そして、それを真理として認識し、それを多くの方々に伝えてゆくということが、一般の社会で言われている真理の認識の姿ではないかと思う。

 確かに、地上で経験できることは数多くあり、そして、経験に裏打ちされて初めて、真理というものは認識できるものであるから、経験というものが非常に役に立つということは否めない事実であろうし、地上で生きてゆく理由の一つも、地上でしかできない経験を、かけがえのない経験をなすことにあるであろう。

 しかし、一人の人間に与えられた経験というものは、非常に限られたものであって、人生の真理とは何か、また、世界の真理とは何かということを、広く、高く、深く、あらゆる面において掴みきるということは、非常に困難なことであろう。

 そこで、世界の真理、人生の真理というものを如何に認識し得るのかということを考えた時に、学問というものの必要性が大切になってくるわけである。

 一個人の経験をはるかに越えて、人類が歴史の中で育んできた様々な経験知を、教訓として、智慧として集積したものが、諸学の体系であるから、そのようなものを学び、そして、自らの智慧と加えてゆくということは、自分自身のコアとなる叡智の結晶を育んでゆく上で、非常に大切であろう。

 すなわち、経験と学習、学びというもの、この両者があいまって、私達の認識というものが進んでゆき、人生の真理を獲得し、世界の真理を獲得してゆくものであるということが、通常言われている「知」の本質ではないかと思う。

 しかし、古今東西の数多くの哲学者や、また、聖人や、芸術家や、そうした方々が、いかに真理に到達できたかということを考えてみた時に、必ずしも、その方の限られた経験と、限られた知識では到達し得ないような内容の真理を示されている方が数多くおられるであろう。

 そこで、何がそのような永遠普遍なる、あらゆる限定をはずした認識を可能とならし得るのかということを考えた時に、そこには、個人の経験をも越えて、また、人類の経験をも越えて、また数多くの知識を越えて、過去の知識の遺産をも越えて洞察し得る叡智の働きがあるのであると認識せざるを得ないのである。

 叡智の働きを、主に私達は、広義の理性の働きとして捉えてゆくものである。

 

 

 (つづく)

 

 

 

 

  by 天川貴之