第9章「経験と叡智的直観について」第6節(2) 天川貴之
その中で、カントの認識論というものが出てきた。合理論に対して、経験論というアンチ・テーゼが出てきた。それは、科学的精神というものが、経験的立場から主として近代に現れたところから源を発しているものである。
近代科学は、その方法論において、経験重視の立場を取ることになった。それは、実験重視の立場と言えるであろう。実験として、様々な経験を積み、その中から共通した法則を真理として見抜き、確実な智慧として積み重ねてゆくことが、科学の方法の基礎である。
しかし、その科学的な思考方法というものも、この理性と同じ課題を持つのであって、科学的理性の在り方というものの中にも、先程から述べているところの、直観的理性の営みというものを取り入れた上での、直観即論理という理性を、経験的方法論の中に取り入れなければならないのである。
例えば、かのアインシュタインであっても、相対性原理をはじめとする科学的な偉大な発見をなした時は、まだ二十代前半の若い時であったというが、その直観によって把握したところの新しい真理の発見を、論理的に、科学の言葉で、方程式で説明し、そして更に、それを実験によって、それが真理であるということを実証し、全世界にその相対性原理の真理性が広まるには、時間の経過があったわけである。
このエピソードは、科学的方法論というものを考えた時に、よくよく考えなければならないものであり、それはまた、例えて言うならば、エジソンの方法も同じであろう。
直観として発明発見したものを、論理的に説明し、そしてそれを、実験を通して応用し、具体化し、商品化してゆく、そのようなプロセスを取るわけであるが、おおよそ科学者のなすべきことは、このようなプロセスを取るのである。
そして、哲学もまた同じであり、また、宗教もまた同じであり、ある意味では、芸術もまた同じ道を原則として取るものであろう。
即ち、我々が現代において最も哲学的課題、いや人間的課題として認識しなければならないものは、真理を如何にして獲得するかということの常識を問うということである。
(つづく)
by 天川貴之