第9章「経験と叡智的直観について」第7節(4) 天川貴之
カントは何を限界としたのか。その基準は人間である。近代的人間である。
近代的人間はどのようなものであったかというと、カント自身がそうであったように、信仰心というものを懐深く持ちながら、尚かつ、合理主義の要請に適うように、学問の領域において、限りなく論理的、かつ緻密、かつ確実な知識を積み重ねてゆく、このような作業をするのが、近代の知識人の多数ではなかったかと思うのである。
しかし、カントの哲学は、あくまでも人間の可能性と限界という観点に立った哲学であり、人間としての謙虚さという戒めを説く哲学であったと位置づけて良いかもしれない。
ソクラテスは、無知の知ということを哲学の探究態度の出発点に据えた。無知の知ということは、解らないという立場のことである。
真理があったとしても、理念があったとしても、また、霊的現象があったとしても、それを本当であるという立場は信仰の領域であり、それを本当でないという立場もまた、これ懐疑論の極致である。
この両極端を取り去って、人間の限界と可能性というものの職分をよくよく分析して、平凡な人間の立場で、近代の人間の立場で、無知の知という出発点から歴史を認識し、人生を認識し、そして、近代という時代を創らんとしたのがカント哲学であったわけである。
(つづく)
by 天川貴之