第10章「時空と絶対無について」第7節(2) 天川貴之
第7節 絶対秩序の意識としての「無」(2)
時間の流れがあるのは、神の心の流れがあるからである。
すべてのすべてで、神は無であったわけであるから、時間はない。空間もない。
けれども、その中から念いが生まれた。そして、その言葉が、時間、空間をつくり、すべての現象を在らしめた。
そして、すべての現象に、進化と調和、即ち、大調和の方向性を、時間の流れとして本源意識は方向性として持たれた。
その方向性を実現するために、宇宙的秩序というものがあり、その宇宙的秩序を、地球という場所において、個性をもって分光し、その秩序を顕わしている意識が、喩えていうならば太陽の実在であり、月の実在であり、また地球の実在であり、地球に幸えているすべてのものは、存在として価値を有しておりながら、秩序として、真理か偽か、善か悪か、また美か醜か、聖か俗か、正統か異端か、健康か不健康か、繁栄か衰退か、そのように分かれているのである。
それは、宇宙秩序の意識が、宇宙平等の意識と共に働いているからである。秩序即平等であり、平等即秩序であり、そのコアは、宇宙の本源なる無の意識にあるのである。
その双方を忖度しなければ、本当の宇宙、さらにいえば、地球というものを理解することはできない。
(つづく)
by 天川貴之
(JDR総合研究所・代表)