第10章「時空と絶対無について」第8節(1) 天川貴之
第8節 絶対光明の芸術意識としての「無」(1)
本当の愛というものは、絶対秩序と絶対平等を止揚しているところの絶対愛である。
その絶対愛を体現しようと思ったならば、理法を見抜く叡智が必要であるから、絶対叡智即絶対愛であると言える。
そして、それが光明荘厳の世界を築くわけだから、絶対光明であると言える。絶対愛即絶対叡智即絶対光明である。
絶対光明と申したけれども、光明荘厳の世界に行き着くまでにおいては、迷いの世界があり、また悲劇があり、喜劇があり、一大光明劇をベースにしながら、様々な劇が、人生の無という宇宙の中で展開されているように見える。
悲劇がなければ、一切の悲しみも、苦しみも、悩みも、挫折も、失敗もないであろう。喜劇がなければ、笑いもないし、また失敗もないであろう。また、サービス精神もないであろう。光明劇のみであるならば、それもまた、一つの限定が入っている。
あらゆる悲劇、喜劇、光明劇を、その根底で司っているところの意識は、一大光明荘厳の芸術意識であり、すべては大調和に向かってゆくしかない。
(つづく)
by 天川貴之
(JDR総合研究所・代表)