第4章「存在と実在について」第4節 天川貴之
第4節 イデアの認識について
さらに、第三段階として、この内奥にある所のイデアを認識するという段階がある。この世的なるものが、すべて夢幻の如く観えてきた時に初めて、その奥に、真なる実在であると思えるものが認識されてくる。
それはあたかも、今までこの世的なる欲望のスモッグで見えなかった星空が、欲望のスモッグを晴らすことによって、鮮やかに観えてくる姿に似ている。
それが、心の内にあるイデアである。イデアを真に観た者は、これこそが、真なる実在であると感ずる。このイデアが、ありありと実在感、リアリティーをもって感じられるようになる。
その時に、この地上のありとしあらゆるものは、真に夢幻の如き実体のないものであり、心の内なる天上のイデアこそが、真に確固不動の実体であると認識されるようになるのである。
このように考察してみると、プラトンは、かかる境地からイデア哲学を説かれたことが分かる。
と同時に、彼の哲学を、あまりにも理想的・空想的産物と嘲笑する人々が、いかに低い境地に立っているかが分かる。
唯物論哲学なども、物事の観え方がプラトンのイデア哲学と対極になっているが、それが、いかに 物質的欲望に執われた低い境地にある哲学かということが分かるのである。
(つづく)