理念哲学講義録  天川貴之

真善美聖の「理念哲学」の核心を、様々な哲学的テーマに基づいて、わかりやすく講義したものです。

2019-01-01から1年間の記事一覧

第6章「厭世観と楽天観について」第4節(2)

さらには、人生の本質、世界の本質を深く深く探究すると、人間の本質にも光輝く理念があり、世界の本質にも光輝く理念が横たわっていることが認識されてくる。 これらの光輝く理念を観ずるためには、まず何よりも、自己の内なる光輝く理念を発見し、磨き出し…

第6章「厭世観と楽天観について」第4節(1)

第4節 人生の諸段階の弁証法的考察について(1) それでは次に、厭世観と楽天観における人生の諸段階の弁証法的考察を論じてゆきたいと思う。 まず、あまり人生を経験しないで、人生を深く見つめない段階における楽天観がある。 この楽天観は、底の浅い楽…

第6章「厭世観と楽天観について」第3節

第3節 両哲学を止揚した楽天哲学について そこで、この両者の厭世哲学と楽天哲学を比較検討してゆくに、まず、根本的な実在観についてであるが、大宇宙の摂理、大自然の摂理、そして、人間の摂理をよくよく洞察してみた時に、そこに、限りなく合理的な叡知…

第6章「厭世観と楽天観について」第2節

第2節 ショーペンハウアー哲学とライプニッツ哲学について 例えば、厭世観の代表的な哲学者として、ショーペンハウアーを挙げることができるが、彼は、人生の根底にあるもの、世界の根底にあるものは、非合理な盲目的意志であると述べている。 すべての根底…

第6章「厭世観と楽天観について」第1節

第1節 厭世観と楽天観について 厭世観と楽天観について論じてゆきたい。 これは、人生の本質、世界の本質を、根本的にいかに洞察するかという点において、異なった観方が生じてくるというものである。 厭世観においては、人生の暗い面、世界の暗い面が強調…

第5章「唯物学術と理念学術について」(17)

【注解的続編】(11) 十五、「新時代の学問潮流について」 二十世紀思想の潮流となっているものは、ニーチェ、マルクス、フロイト、ダーウィン、それにつけ加えて、「プラグマティズム」「自由主義」であるというのが通説である。 我々は、まず、理念哲学…

第5章「唯物学術と理念学術について」(16)

【注解的続編】(10) 十四、「理念心理学」について • フロイト心理学は、人間の肉体は、性本能(リビドー)が人間の行動や文化を支配しているとされたが、これは、仏教でいえば煩悩、ショーペンハウアー哲学でいえば、盲目的意志にあたるものであり、人…

第5章「唯物学術と理念学術について」(15)

【注解的続編】(9) 十二、「理念数学」について • 数学の基本概念は、すべて先天的なもの、すなわち、「理念」である。例えば、数字の一つ一つにしても、三角形にしても、すべて理念である。 • すなわち、現象的な数や形の背景には、まず理念的な数や形が…

第5章「唯物学術と理念学術について」(14)

【注解的続編】(8) 十、「理念生物学」について • ダーウィンの進化論は、マルクスの唯物論的経済学と同じであって、生物界の中に「発展の法則」を見い出されている点は評価できるが、「理念」が不在である点が誤りであるといえるのである。 生物界も、人…

第5章「唯物学術と理念学術について」(13)

【注解的続編】(7) 九、「理念物理学」について(2) (アインシュタインの光と「理念物理学」の光について) • 「理念物理学」においては、「理念」が一定であり、これを基軸にしてすべての時空を考えてゆくものであるが、この「理念」の現象界への投影…

第5章「唯物学術と理念学術について」(12)

【注解的続編】(6) 九、「理念物理学」について(1) (「相対性理論」と「絶対性理論」について) • ニュートンは、「絶対空間」「絶対時間」を想定して古典物理学を創られたが、アインシュタインの出現によって、あらゆる空間と時間は相対的なものにす…

第5章「唯物学術と理念学術について」(11)

【注解的続編】(5) 七、「理念経営学」について • 理念経営とは、経営哲学に基づいた経営であり、その哲学は、理念哲学の実践哲学であるが故に、それに則った正しい経営となるのである。 • 理念経営者の課題は、いかに理念価値の高い理念商品を創るかであ…

第5章「唯物学術と理念学術について」(10)

【注解的続編】(4) 六、「理念経済学」について (理念的歴史観について)• ヘーゲルは、歴史には絶対者の法則が存在し、歴史とは、絶対者の本質、すなわち、「理念」が実現されてゆくプロセスであると考えられた。 • これを経済学にあてはめて考えてみる…

第5章「唯物学術と理念学術について」(9)

【注解的続編】(3) 四、「理念政治学」について 五、「理念法学」について • 理念政治学とは、国家の意志決定において、理念に正しさの根拠を求める政治学である。 • 故に、理念を真に認識できる哲人政治家によるリーダーシップが待望されるのである。 • …

第5章「唯物学術と理念学術について」(8)

〔注解的続編〕(2) 二、「理念道徳学」(理念倫理学)について • 「理念道徳学」は、かつて道徳形而上学を打ち立てられたカント哲学やフィヒテ哲学の延長上に理論構築してゆけるものであろう。 • すなわち、「叡知界」(理念界)に属する各自の普遍の道徳…

第5章「唯物学術と理念学術について」(7)

〔注解的続編〕(1) 一、「理念哲学」について • 「理念哲学」の最大の課題は、ギリシャのイデア哲学を源とする存在論哲学と、ドイツ観念論哲学を源とする認識論哲学との統合であろう。 • 「イデア」は、カント哲学においては、ほぼ「物自体」にあたる。カ…

第5章「唯物学術と理念学術について」(6)

第6節 理念社会の実現について そして、かかる理念思想の流布と確立によって、社会は、国家は、世界は、史上最高最大最深のユートピアとなってゆくのである。 このような理念型ユートピアにおいては、政治も経済も教育も家庭も、崇高なる理念によって運営さ…

第5章「唯物学術と理念学術について」(5)

第5節 「理念学術体系」の樹立について また、理念に目覚めることが、人間に真なる生命を吹き込むことであるように、哲学の内に理念を顕現させることが、哲学に真なる生命を吹き込むことになるのである。 さらに同じように、哲学は「諸学の学」であるから、…

第5章「唯物学術と理念学術について」(4)

第4節 新時代の「理念哲学」について こうした学問潮流の背景にあって、現代の唯物的社会を変革してゆくためには、新しき観念論哲学を興隆しなければならないといえる。 そこで考えてみるに、プラトンのイデア論とカントの物自体論とを止揚統合したヘーゲル…

第5章「唯物学術と理念学術について」(3)

第3節 「精神論」の大切さについて それでは、唯物的社会にあって、人間と社会の堕落と崩壊を防ぐものは何であろうか。それこそ、私は「精神論」であると答えたい。 「精神論」こそが、人間を真に向上させ、堕落から防ぐ原動力となるものであり、人間によっ…

第5章「唯物学術と理念学術について」(2)

第2節 唯物論の弊害について そうすると、宗教や道徳が成り立たなくなり、人間を根本的に規定する価値規範がなくなってくる。その結果として、人々は刹那主義となり、快楽追求型の人生を送りがちになってしまう。 現に、今の大学生をみても、真剣に精神的教…

第5章「唯物学術と理念学術について」(1)

第1節 唯物論について 唯物学術と理念学術について述べてゆきたい。 唯物学術の根底には唯物論があり、理念学術の根底には観念論がある。 哲学史の伝統の中で、唯物論と観念論というものは、対立したものとして、各々の時代に思想潮流としてあった。 そこで…

第4章「存在と実在について」〔注解的続編〕(5)

〔注解的続編〕(5) ⑲ 本論文の認識論とカントの認識論についても述べておきたいと思う。本注解において「見性」と述べたものは、仏性を見ることであるが、これを哲学的に置き換えてみると、理性を見ることにあたる。 すなわち、本論文の認識論とカントの…

第4章「存在と実在について」〔注解的続編〕(4)

〔注解的続編〕(4) ⑭ 執着の対象とされていた物、金銭、名誉、地位、異性なども、認識主体の境地によって、存在価値が変わってくるものである。 ⑮ 第一段階は、「すべてのものは自分のものである。」と観じている境地である。これは、執着の認識であり、…

第4章「存在と実在について」〔注解的続編〕(3)

〔注解的続編〕(3) ⑪ 仏教でいわれている般若の智慧とは、哲学においては、顕現せる理性にあたり、両者共、形而上学上の精神的実在を認識する知性であるといえよう。 仏教やプラトン哲学においても多少述べられているが、般若の智慧や理性をいかにすれば…

第4章「存在と実在について」〔注解的続編〕(2)

〔注解的続編〕(2) ⑥ 本論文においては、単なる存在論のみならず、「心」を中心とした独自の認識論が論じられている。すなわち、心境によって認識される世界が異なるという真理が洞察されているのである。 従来より、仏教等の世界では、心境によって見え…

第4章「存在と実在について」〔注解的続編〕(1)

〔注解的続編〕(1) ① 本論文の特徴の一つは、プラトンのイデアの世界を、心の内奥の世界と規定している点であろうと思う。 ② かかる観点は、仏教哲学における「三界は唯心の所現である。」という考え方と似ている。 仏教哲学においては、本来的に天国も地…

第4章「存在と実在について」第6節(2)    天川貴之

第6節 心の内奥なるイデアを顕現せよ(2) 「その人の考えていることが、その人自身である。」とは、マルクス=アウレリウスの言葉であるが、その人がイデア的なるものを常に考えているとするならば、それだけその人は、イデア的人間として生きているとい…

第4章「存在と実在について」第6節(1)    天川貴之

第6節 心の内奥なるイデアを顕現せよ(1) 心の内奥には、あらゆるものがある。すなわち、地上のありとしあらゆるものの原型が、心の内奥にはあるのである。その意味で、地上のありとしあらゆるものは、心の世界の影であるともいえるのである。 心の内奥の…

第4章「存在と実在について」第5節(2)    天川貴之

第5節 イデアの属性としての崇高なる感情について(2) さらに、天上的な大欲に目覚めてきた時に、不思議と、今まで小欲の対象であると疎まれてきた物、金銭、名誉、地位、異性など、すべてのものの本質が観えてくるようになるのである。 それらは、実は、…