第2章「運命と自由意志について」第5節 天川貴之
第5節 真なる自由意志とは
このように、理性的存在者には自由意志が与えられているとすると、人間の真なる自由とはどういうことなのであろうか。
人間は、如何なる時に自由を感ずることができるのであろうか。人間が真に自由を感ずる時というのは、ただ単に自由意志を行使する事自体にあるのではない。また、自由意志を乱用して、不調和な悪を創造することにもない。
あくまでも、人間の自由意志は、自己の真なる本性に従って行使されて初めて、真の幸福を感ずるのである。
それならば、他の生物と同じではないかという意見もあろうが、人間は、他の生物が他律的に、いわば盲目的に自己の本性に従っているのと異なり、あくまでも自発的に、自律的に、自覚的に本性に従っているところに尊厳があるのである。
この自己の本性とは、内なる理性である。永遠不滅の生命の泉である。これは、良心の声ともいわれるものである。
この理性に従うことによって、人間は最高の徳をなすことができるのであり、それに付随して、最高の幸福を得ることができるのである。
また、この理性は、普遍的ではあるが、独自の個性を持つものなので、内なる理念であるということもできる。
この理念の源は超越的実在にあり、それによって割り当てられたところの宇宙唯一の個性的天命こそが、理念なのである。
そして、人間は、自己の個性的天命である理念に自発的に従い、これを発露させ、顕現してゆくところに最高の生きがいを感ずるのである。
人間は、この個人の内なる理念、個性的天分に従って相応の人生を築くのであり、ここに人間の運命の原点があるともいえるのである。
(つづく)