理念哲学講義録  天川貴之

真善美聖の「理念哲学」の核心を、様々な哲学的テーマに基づいて、わかりやすく講義したものです。

第9章「経験と叡智的直観について」第7節(2)    天川貴之

 第7節 カント哲学の本質とその限界について(2)


 カントと同時代に、スウェーデンボルグという方がいた。

 スウェーデンボルグは、現代でいうところの霊能者としての霊体験を様々に積みながら、一方、前半生、実績を上げた科学者として、その自分自身が経験した霊的なる現象論を、一科学者としてだけではなく、一人間として、一著述家として、膨大に書き残した作業を行った。

 カントは、これをつぶさに検討し、そして、果たして人間の理性というものは、このような霊界の現象に対してどのように相対してゆくべきなのかということを、真剣に考えた。

 世界精神、時代精神というものは、一方においては、カントを送り込み、一方においては、スウェーデンボルグを送り込み、その両者を基軸としながら、全体としての時代のバランスを保ち、そしてそれが、新時代に向けて真に止揚統合されてゆく、一つの序曲を奏でるものである。

 近代の歴史というものは、カントの立場が学界の主流となり、そして、学界の主流となった考え方が、言論界の主流となり、そして、スウェーデンボルグ的な考え方、現象は、学界からは隅に追いやられ、いわば異端として、「オカルト」という立場に置かれてきた。

 我々は、この「オカルト」と呼ばれているところの霊的な現象論を如何に認識するのかということを、新時代に向けて問わなければならない。

 

 

 

 

(by 天川貴之)

 

 

 

第9章「経験と叡智的直観について」第7節(1)    天川貴之

 第7節 カント哲学の本質とその限界について(1)

 

 現代の多くの知識人の方々が、どのような観点から、真理の獲得というものを位置づけておられるかということを大雑把に把握した場合、よく取られている立場が、カントの立場ではないかと思う。

 カントの哲学とは、果たして学問の対象として把握するものは、どのような対象であるべきであるのかということを深く認識しようとし、主に、デカルトに始まる人間という立場に立った合理論を、イギリス経験論の最も懐疑的なヒュームの経験論の立場に影響を受けて、批判という切り口をもってそれを捉え直し、合理論と経験論の止揚を図った哲学であって、近代の思考、もしくは歴史を形創ってゆくための屋台骨となった考え方であろう。

 しかし、私達が現代の歴史というものを考え、更に、新時代のビジョンを打ち出してゆくにあたって、このカントの思考方法というものを根底から問い直し、そして、その遺産を受け継ぎながら、その思想が及ぼした影響の功罪を検証し、それを新時代へと繋げてゆくという哲学を、新時代の精神として打ち建てなければならないのである。

 

(つづく)

 

 

 

 

 by 天川貴之

 

 

第9章「経験と叡智的直観について」第6節(2)    天川貴之

 

 その中で、カントの認識論というものが出てきた。合理論に対して、経験論というアンチ・テーゼが出てきた。それは、科学的精神というものが、経験的立場から主として近代に現れたところから源を発しているものである。

 近代科学は、その方法論において、経験重視の立場を取ることになった。それは、実験重視の立場と言えるであろう。実験として、様々な経験を積み、その中から共通した法則を真理として見抜き、確実な智慧として積み重ねてゆくことが、科学の方法の基礎である。

 しかし、その科学的な思考方法というものも、この理性と同じ課題を持つのであって、科学的理性の在り方というものの中にも、先程から述べているところの、直観的理性の営みというものを取り入れた上での、直観即論理という理性を、経験的方法論の中に取り入れなければならないのである。

 例えば、かのアインシュタインであっても、相対性原理をはじめとする科学的な偉大な発見をなした時は、まだ二十代前半の若い時であったというが、その直観によって把握したところの新しい真理の発見を、論理的に、科学の言葉で、方程式で説明し、そして更に、それを実験によって、それが真理であるということを実証し、全世界にその相対性原理の真理性が広まるには、時間の経過があったわけである。

 このエピソードは、科学的方法論というものを考えた時に、よくよく考えなければならないものであり、それはまた、例えて言うならば、エジソンの方法も同じであろう。

 直観として発明発見したものを、論理的に説明し、そしてそれを、実験を通して応用し、具体化し、商品化してゆく、そのようなプロセスを取るわけであるが、おおよそ科学者のなすべきことは、このようなプロセスを取るのである。

 そして、哲学もまた同じであり、また、宗教もまた同じであり、ある意味では、芸術もまた同じ道を原則として取るものであろう。

 即ち、我々が現代において最も哲学的課題、いや人間的課題として認識しなければならないものは、真理を如何にして獲得するかということの常識を問うということである。

 

(つづく)

 

 

 

 

by 天川貴之