第10章「時空と絶対無について」第5節(2) 天川貴之
第5節 絶対創造の意識としての「無」(2)
十一次元、十二次元、十三次元、十四次元、十五次元等、あらゆるものも、その本源は「無」である。
「次元」という立場に執われている限りは、「無」という本源に立ち還ることはできない。
銀河であるとか、また、違った銀河であるとか、ある星であるとか、また、違った星であるとか、このような個性的なる立場に執われている限りは、宇宙の中心であるアルクトゥールスの「無」に到達することはできない。
その「無」からすべてが始まり、「無」から場所としてすべてを支え、すべてのすべてを含みながら、すべてに命を与え、あらゆる時間と空間を生じせしめているところの本源創造の意識、そして、本源維持破壊の意識、維持破壊もまた創造であるという観点から観れば、絶対創造の意識、それが、本源なる「無」である。
(つづく)
by 天川貴之
(JDR総合研究所・代表)
第10章「時空と絶対無について」第5節(1) 天川貴之
第5節 絶対創造の意識としての「無」(1)
光が様々な現象を創っているということは真実である。そして、光は「無」から生まれたということも、また真実である。
あらゆる光の源にあるものは、「無」である。この「無」から光が生まれた。この光が様々な次元に分かれ、無数無限なる個性に分かれているのが、ありとしあらゆる現象である。
それを喩えるならば、十次元、九次元、八次元、七次元、六次元、五次元、四次元、三次元というふうに表わすこともできる。そのような空間として表わすこともできる。また、過去、現在、未来という時間で表わすこともできる。それを、オールド・エイジ、ニュー・エイジという言葉で現すこともできる。
しかし、あらゆる次元を超えて、あらゆる時間の流れを超えて、永遠普遍なる源というものは存在する。
あらゆる光の源であるところの無は、あらゆる限定を超越する。そして、あらゆるものをその奥に包み、包含する。であるから、見えない。「無」である。
見えるものは限定がかかっているものであり、感じ取れるものは限定がかかっているものであり、限りなく「純粋光」というものは、見えなくなってゆく。色彩がなくなるのである。
でありながら、すべての色彩をその内に宿している。すべての色彩をその内に宿しているから、純粋であり、無になるのである。
その無から、あらゆる次元のものが生まれていくのである。
(つづく)
by 天川貴之
(JDR総合研究所・代表)
第10章「時空と絶対無について」第4節(2) 天川貴之
第4節 「無」の本質について(2)
すべてのすべてである、「無」。
「無」であるということは、「有」としてのあらゆる限定をはずしたということである。あらゆる個性的限定をはずすと、あらゆる個性を超えた「無」になる。
Aという立場も、Aという立場がある限りは、無ではない。Bという立場も、Bという立場がある限りは、無ではない。
光という立場も、光がある限りは、無ではなく、闇という立場も、闇という立場がある限りは、無ではなく、影という立場も、影という立場がある限りは、無ではない。
喩えるならば、光の中にある七色の光であっても、その七色の、たとえば、白という立場がある限りは、その源である無である立場にはなりえない。赤である、という立場をとる限りは、その本源なる無にはなることは出来ない。青であるという立場をとる限りにおいては、その本源である無に立ち還ることは出来ない。
(つづく)
by 天川貴之
(JDR総合研究所・代表)