第10章「時空と絶対無について」第6節(1) 天川貴之
第6節 絶対肯定の意識としての「無」(1)
統合叡智というものは、広義の哲学というものは、その現象の奥に理念を見い出すこと、真理を見い出すこと、価値を見い出すことである。
何故、現象が現象としてあるのかという本源的なる問いに答えること、それが真理である。であるから、現象は、どこの次元にあるものでも素材である。
「宇宙の理法」という真如は、三次元世界にすでにある。三次元世界にある物質、物体の中で、法則の下にないものは一つたりともない。
すべては法則の下にあり、すべては法則を体現し、応化し、顕われているものであり、その意味において、すべてがロゴスである。
三次元存在を三次元現象として観るだけでは、それは、ただ単なる現象であり、物体、物質であるが、叡智の観点から「法則」として観た時に、そこに、三次元にしかない法則があるのである。三次元にしかない真理があるのである。三次元にしかない叡智があるのである。三次元にしかない、真、善、美、聖、あらゆる価値があるのである。
(つづく)
by 天川貴之
(JDR総合研究所・代表)
第10章「時空と絶対無について」第5節(3) 天川貴之
第5節 絶対創造の意識としての「無」(3)
宇宙は生まれたものである。それは、無が自己実現したものである。
宇宙が宇宙として存在するのは、無があるからである。中心があるからである。
無が無として機能しているからこそ、現象は消えずに残る。無がなければ、現象の存立基盤がなくなる。
この現象というものにも次元構造がある。私達が三次元存在として五感で認識し得る、縦、横、高さのある物体のみを現象というのではない。
ヘーゲルの精神現象学という言葉があるが、精神における現象というものもある。
即ち、三次元現象、四次元現象、五次元現象、六次元現象、七次元現象、八次元現象、九次元現象、十次元現象、そのような形で現象が展開するのが多次元宇宙である。
あらゆる次元に、それぞれの時間と空間がある。そして、現象として展開しているものである。
(つづく)
by 天川貴之
(JDR総合研究所・代表)
第10章「時空と絶対無について」第5節(2) 天川貴之
第5節 絶対創造の意識としての「無」(2)
十一次元、十二次元、十三次元、十四次元、十五次元等、あらゆるものも、その本源は「無」である。
「次元」という立場に執われている限りは、「無」という本源に立ち還ることはできない。
銀河であるとか、また、違った銀河であるとか、ある星であるとか、また、違った星であるとか、このような個性的なる立場に執われている限りは、宇宙の中心であるアルクトゥールスの「無」に到達することはできない。
その「無」からすべてが始まり、「無」から場所としてすべてを支え、すべてのすべてを含みながら、すべてに命を与え、あらゆる時間と空間を生じせしめているところの本源創造の意識、そして、本源維持破壊の意識、維持破壊もまた創造であるという観点から観れば、絶対創造の意識、それが、本源なる「無」である。
(つづく)
by 天川貴之
(JDR総合研究所・代表)