第10章「時空と絶対無について」第6節(2) 天川貴之
第6節 絶対肯定の意識としての「無」(2)
我々は、多次元宇宙のすべてを否定してはならず、単純肯定してもならず、絶対肯定しなければならない。
三次元を絶対肯定する立場を、「光明荘厳」と言う。四次元存在を、四次元世界を絶対肯定する立場を「光明荘厳」と言う。五次元世界を絶対肯定する立場を「光明荘厳」と言う。六次元的世界を絶対肯定する立場を「光明荘厳」と言う。七次元、八次元、九次元、十次元、十一次元、十二次元、十三次元、十四次元、十五次元、すべてである。
すべてを絶対肯定するところの意識こそ、「無」である。すべてを肯定する意識が、「無」である。一つでも否定すると、「無」にはならない。なぜなら、限定が入るからである。
しかし、単純肯定するだけでは、「無」にやはりならない。それは、「法則」を知らないからである。
絶対肯定する立場は、「法則」を真に知る「トゥルース(絶対真理)」の立場に立つものである。
(つづく)
BY 天川貴之
(JDR総合研究所・代表)
第10章「時空と絶対無について」第6節(1) 天川貴之
第6節 絶対肯定の意識としての「無」(1)
統合叡智というものは、広義の哲学というものは、その現象の奥に理念を見い出すこと、真理を見い出すこと、価値を見い出すことである。
何故、現象が現象としてあるのかという本源的なる問いに答えること、それが真理である。であるから、現象は、どこの次元にあるものでも素材である。
「宇宙の理法」という真如は、三次元世界にすでにある。三次元世界にある物質、物体の中で、法則の下にないものは一つたりともない。
すべては法則の下にあり、すべては法則を体現し、応化し、顕われているものであり、その意味において、すべてがロゴスである。
三次元存在を三次元現象として観るだけでは、それは、ただ単なる現象であり、物体、物質であるが、叡智の観点から「法則」として観た時に、そこに、三次元にしかない法則があるのである。三次元にしかない真理があるのである。三次元にしかない叡智があるのである。三次元にしかない、真、善、美、聖、あらゆる価値があるのである。
(つづく)
by 天川貴之
(JDR総合研究所・代表)
第10章「時空と絶対無について」第5節(3) 天川貴之
第5節 絶対創造の意識としての「無」(3)
宇宙は生まれたものである。それは、無が自己実現したものである。
宇宙が宇宙として存在するのは、無があるからである。中心があるからである。
無が無として機能しているからこそ、現象は消えずに残る。無がなければ、現象の存立基盤がなくなる。
この現象というものにも次元構造がある。私達が三次元存在として五感で認識し得る、縦、横、高さのある物体のみを現象というのではない。
ヘーゲルの精神現象学という言葉があるが、精神における現象というものもある。
即ち、三次元現象、四次元現象、五次元現象、六次元現象、七次元現象、八次元現象、九次元現象、十次元現象、そのような形で現象が展開するのが多次元宇宙である。
あらゆる次元に、それぞれの時間と空間がある。そして、現象として展開しているものである。
(つづく)
by 天川貴之
(JDR総合研究所・代表)