第10章「時空と絶対無について」第7節(1) 天川貴之
第7節 絶対秩序の意識としての「無」(1)
と同時に、宇宙の本源意識というものは、秩序の意識である。
何故に、九次元と八次元が分かれているのか。何故に、八次元と七次元が分かれているのか。何故に、七次元と六次元が分かれているのか。何故に、六次元と五次元が分かれているのか。何故に、五次元と四次元が分かれているのか。何故に、四次元と三次元が分かれているのか。
そして、何故に、相似形で価値の要素を次元ごとに変えながら、それぞれの空間があるのか。それぞれに時間が流れているのか。違った時間が流れているのか。
何故に、表の正統と、裏の異端というものが存在するのか。
それは、宇宙の本源意識の中に「秩序」というものがあるからである。そして、秩序は法である。意志である。
本源なる絶対無の創造主は、すべての個性を生かし育みながら、それに公平なる秩序を与えることをもって、宇宙の進化と調和を司っており、それによって、大調和の世界を示顕せしめんと計画しておられるし、意図されておられる。
(つづく)
by 天川貴之
(JDR総合研究所・代表)
第10章「時空と絶対無について」第6節(3) 天川貴之
第6節 絶対肯定の意識としての「無」(3)
多次元宇宙には、空間として、様々な個性的空間が存在する。
そのすべての個性的なる空間を絶対肯定する立場が、「無」の立場である。
何事も、正統と異端、表と裏というものもあるが、表を絶対肯定し、裏を絶対肯定しなければ、宇宙は存立しない。であるから、空間として存在するわけである。
「無」という立場に立って幸えぬ意識は、存在するものの中ではない。その意味において、すべてのものに平等に、存在の愛が降り注がれていると言えるであろう。
その意味において、すべてのすべてに価値がある。その価値を尊重するということが、万象万物を尊重し、真に愛するということである。
(つづく)
by 天川貴之
(JDR総合研究所・代表)
第10章「時空と絶対無について」第6節(2) 天川貴之
第6節 絶対肯定の意識としての「無」(2)
我々は、多次元宇宙のすべてを否定してはならず、単純肯定してもならず、絶対肯定しなければならない。
三次元を絶対肯定する立場を、「光明荘厳」と言う。四次元存在を、四次元世界を絶対肯定する立場を「光明荘厳」と言う。五次元世界を絶対肯定する立場を「光明荘厳」と言う。六次元的世界を絶対肯定する立場を「光明荘厳」と言う。七次元、八次元、九次元、十次元、十一次元、十二次元、十三次元、十四次元、十五次元、すべてである。
すべてを絶対肯定するところの意識こそ、「無」である。すべてを肯定する意識が、「無」である。一つでも否定すると、「無」にはならない。なぜなら、限定が入るからである。
しかし、単純肯定するだけでは、「無」にやはりならない。それは、「法則」を知らないからである。
絶対肯定する立場は、「法則」を真に知る「トゥルース(絶対真理)」の立場に立つものである。
(つづく)
BY 天川貴之
(JDR総合研究所・代表)