第4章「存在と実在について」〔注解的続編〕(3)
〔注解的続編〕(3)
⑪ 仏教でいわれている般若の智慧とは、哲学においては、顕現せる理性にあたり、両者共、形而上学上の精神的実在を認識する知性であるといえよう。
仏教やプラトン哲学においても多少述べられているが、般若の智慧や理性をいかにすれば顕現してゆくことができるかという方法論が、もっと確立される必要があるといえよう。
⑫ 本論文の認識論は、仏教哲学でいう「空」の哲学と相通づる所もある。
第一段階の認識は、通常の認識であるが、第二段階の認識は、従来仏教でいう「空」の認識と同じである。 この地上の全てのものが、変わりゆく夢幻と観える境地である。
さらには、第三段階の認識は、いわば、地上的なるものが夢幻の如く観えることによって、曇りが晴れて夜空の星の輝きが見えるように、積極的に真実在たるイデアがありありとして確固として観える境地である。
この境地は、従来の仏教ではあまり説かれていない部分であるが、空の奥義として、真空妙有の「妙有」の世界として解釈する立場もあるので、かかる「空」の認識と同じであるといえよう。
⑬ このように、本論文は、主として仏教的存在論、仏教的認識論をベースに、プラトンのイデア哲学を再構築したものといえるかもしれない。
(つづく)