理念哲学講義録  天川貴之

真善美聖の「理念哲学」の核心を、様々な哲学的テーマに基づいて、わかりやすく講義したものです。

第5章「唯物学術と理念学術について」(13)

  【注解的続編】(7)

  

  九、「理念物理学」について(2)

 

 

アインシュタインの光と「理念物理学」の光について)


• 「理念物理学」においては、「理念」が一定であり、これを基軸にしてすべての時空を考えてゆくものであるが、この「理念」の現象界への投影が、アインシュタインのいう「光」である。

 それは、厳密な意味では正しい理論とはいえないが、アインシュタインが時間空間の基軸を「光」に置こうとした直感の奥にあるものは正しいといえる。

 それは、結局のところ、現象的な光の奥にある「理念の光」のことであり、「理念そのもの」のことなのである。

 

• 現象の光を基軸にした現象の時間と空間は、現象の座標軸(人間の観測者)によって変転してゆく。

 しかし、理念の光を基軸にした理念の時間と空間は、理念の座標軸(絶対者的観測者)のもとに不変不動なのである。

 

 

(各次元の「光」「時間」「空間」について)


• 三次元世界は、三次元的準理念としての「三次元的光」によって時間と空間が創られ、四次元以降の世界は、それぞれの各次元的準理念としての「各次元的光」によって、それぞれの時間と空間が創られている。

 

• そして、中心となる理念(光)の性質の差が、各次元の時間空間の差となっている。

 

• 理念(光)の運動が時間の本質であって、その場が空間の本質である。

 

• 三次元の光の性質が物質であるとすれば、四次元の光の性質は本能的意識であり、五次元の光の性質は精神的意識であり、次元が上がる程に、精神が純化されてゆく。

 

 

(絶対無と統一場理論について)


• この「理念」を「絶対無」として規定すれば、西田哲学でいう「一即多、多即一」の哲理のみならず、空間論的には、「場」の哲理が探求されてくるといえるであろう。

 物理学において、アインシュタインが「統一場理論」の完成に苦心されているといえるが、これは、西田哲学でいえば、絶対無の「場」にあたるといえよう。

 結局のところ、アインシュタイン理論における理念想定の消極性が、かかる絶対無の「場」へとたどりつけなかった原因であると思われる。

 「理念物理学」においては、かかる「統一場理論」を、理念の立場から新しく樹立しえるであろう。

 

(つづく)