第5章「唯物学術と理念学術について」(2)
第2節 唯物論の弊害について
そうすると、宗教や道徳が成り立たなくなり、人間を根本的に規定する価値規範がなくなってくる。その結果として、人々は刹那主義となり、快楽追求型の人生を送りがちになってしまう。
現に、今の大学生をみても、真剣に精神的教養を積もうとして努力している人は少なく、大多数の学生が、快楽追求型の生活を送っていることが多い。
また、経済社会をみても、利潤追求だけを目的として、精神的価値に重きを置かないビジネスマンが多い。まさしく、エコノミックアニマル化しているのである。
さらに、政治社会をみても、精神的なる徳を大切にせず、金集め、票集めだけに奔走している。いわば、ポリティックアニマルが多い。
家庭においても、親子兄弟の道徳がなくなり、家庭が空洞化している現象がでてきている。
これらはすべて、唯物論的思考の蔓延した結果である。すなわち、唯物論が蔓延すると、人間と社会は堕落し、崩壊してゆくのである。
その背景にあるものとして、あらゆる現象は思想の影であるから、唯物学術体系が社会の根底にあるからであるといえるであろう。
二十世紀思想の潮流になっているのは、ニーチェ、マルクス、フロイト、ダーウィン等であるが、そのどれもが、唯物論哲学、唯物論経済学、唯物論心理学、唯物論生物学であるように、学問全体の根底に、深く唯物論が横たわっているといえるのである。
このように、「唯物学術体系」があり、その思想の現象化したものとして、唯物的社会が成り立っているといえるのである。
(つづく)