理念哲学講義録  天川貴之

真善美聖の「理念哲学」の核心を、様々な哲学的テーマに基づいて、わかりやすく講義したものです。

第4章 「存在と実在について」

第4章「存在と実在について」〔注解的続編〕(5)

〔注解的続編〕(5) ⑲ 本論文の認識論とカントの認識論についても述べておきたいと思う。本注解において「見性」と述べたものは、仏性を見ることであるが、これを哲学的に置き換えてみると、理性を見ることにあたる。 すなわち、本論文の認識論とカントの…

第4章「存在と実在について」〔注解的続編〕(4)

〔注解的続編〕(4) ⑭ 執着の対象とされていた物、金銭、名誉、地位、異性なども、認識主体の境地によって、存在価値が変わってくるものである。 ⑮ 第一段階は、「すべてのものは自分のものである。」と観じている境地である。これは、執着の認識であり、…

第4章「存在と実在について」〔注解的続編〕(3)

〔注解的続編〕(3) ⑪ 仏教でいわれている般若の智慧とは、哲学においては、顕現せる理性にあたり、両者共、形而上学上の精神的実在を認識する知性であるといえよう。 仏教やプラトン哲学においても多少述べられているが、般若の智慧や理性をいかにすれば…

第4章「存在と実在について」〔注解的続編〕(2)

〔注解的続編〕(2) ⑥ 本論文においては、単なる存在論のみならず、「心」を中心とした独自の認識論が論じられている。すなわち、心境によって認識される世界が異なるという真理が洞察されているのである。 従来より、仏教等の世界では、心境によって見え…

第4章「存在と実在について」〔注解的続編〕(1)

〔注解的続編〕(1) ① 本論文の特徴の一つは、プラトンのイデアの世界を、心の内奥の世界と規定している点であろうと思う。 ② かかる観点は、仏教哲学における「三界は唯心の所現である。」という考え方と似ている。 仏教哲学においては、本来的に天国も地…

第4章「存在と実在について」第6節(2)    天川貴之

第6節 心の内奥なるイデアを顕現せよ(2) 「その人の考えていることが、その人自身である。」とは、マルクス=アウレリウスの言葉であるが、その人がイデア的なるものを常に考えているとするならば、それだけその人は、イデア的人間として生きているとい…

第4章「存在と実在について」第6節(1)    天川貴之

第6節 心の内奥なるイデアを顕現せよ(1) 心の内奥には、あらゆるものがある。すなわち、地上のありとしあらゆるものの原型が、心の内奥にはあるのである。その意味で、地上のありとしあらゆるものは、心の世界の影であるともいえるのである。 心の内奥の…

第4章「存在と実在について」第5節(2)    天川貴之

第5節 イデアの属性としての崇高なる感情について(2) さらに、天上的な大欲に目覚めてきた時に、不思議と、今まで小欲の対象であると疎まれてきた物、金銭、名誉、地位、異性など、すべてのものの本質が観えてくるようになるのである。 それらは、実は、…

第4章「存在と実在について」第5節(1)    天川貴之

第5節 イデアの属性としての崇高なる感情について(1) さて、この真実在たるイデアの属性として、愛と夢と情熱などの崇高なる感情について洞察してみたいと思う。 これらの感情もまた、真に実在性を帯びて認識し、実感できるためには、この世的欲望から自…

第4章「存在と実在について」第4節  天川貴之

第4節 イデアの認識について さらに、第三段階として、この内奥にある所のイデアを認識するという段階がある。この世的なるものが、すべて夢幻の如く観えてきた時に初めて、その奥に、真なる実在であると思えるものが認識されてくる。 それはあたかも、今ま…

第4章「存在と実在について」第3節  天川貴之

第3節 無執着の認識について 第二段階として、我々の地上的なる欲望を統御して、地上的なる執われから自由になった段階である。ストア哲学の意図する所も、地上的な欲望から精神を解放することであって、それこそが、真なる幸福の道であるといわれているの…

第4章「存在と実在について」第2節  天川貴之 

第2節 通常の認識について まず、第一段階としては、我々の通常の存在の認識である。 我々は、地上的なものに執われた認識をしている。 例えば、まず何よりも物質に執われ、この世的なる存在が全てであるかのような世界観に執われ、また、地上的な欲望とし…

第4章「存在と実在について」第1節  天川貴之 

第1節 本当に「有るもの」について 存在と実在について述べてゆきたい。 存在とは有るものである。しかし、プラトンの時代から、本当に「有るもの」といえるものは何かという問いが発されつづけているのである。 通常の我々の意識においては、地上世界にお…