第10章「時空と絶対無について」第1節 天川貴之
第1節 宇宙の本源としての「無」
「時空と絶対無」について論じてゆきたい。
「無」というものを深く探究することは、宇宙の本源を探究するということと同じである。 宇宙というものは、外にあるばかりではなく、人間の心の内に、一人一人が宿しているものである。
一人一人が、自分自身の心の内に、宇宙というものを持っており、その宇宙の本源を探究してゆく上で、「無」という一字は、限りなくその奥を探究してもその奥があり、更にその奥があるところの深遠なる真理そのものである。
この「無」にも、様々な切り口があり、様々な個性もあり、様々な高さの違いもある。
「無」とは、本来すべてであり、すべての真理の源であり、すべてのすべての本源でありながら、展開したる事象、現象のすべてを包括し、包むものである。
かつて、西田幾多郎の哲学において「絶対無」というものが説かれ、「無の場所」というものが、いわば宇宙の中心的位置を与えられていたが、西田幾多郎の到達した境地の「絶対無」は、また、違った切り口から到達することもできるし、また、違った表現で現わすこともできるし、また、その奥に秘められたる内奥の真理を探究することもできる。
(つづく)
by 天川貴之
(JDR総合研究所・代表)