第6章「厭世観と楽天観について」第2節
第2節 ショーペンハウアー哲学とライプニッツ哲学について
例えば、厭世観の代表的な哲学者として、ショーペンハウアーを挙げることができるが、彼は、人生の根底にあるもの、世界の根底にあるものは、非合理な盲目的意志であると述べている。
すべての根底にある形而上学的実在は、盲目的意志であるが故に、かかる実在の有限化、具現化した人間の人生と世界は、苦悩に満ち満ちたものとなるのである。
そして、ショーペンハウアーは、地上の様々な不幸の実例、例えば、戦場の光景や、病院の光景などを挙げて、人生と世界が苦悩に満ち満ちていることを実証してゆくのである。
一方、楽天観の代表的な哲学者としてライプニッツを挙げることができるが、彼は、人生の根底にあるもの、世界の根底にあるものは、賢明で善良な絶対者であると述べている。
すべての根底にある形而上学的実在とは、合理的な絶対者であるが故に、かかる実在の有限化、具現化した人間の人生と世界は、幸福に満ち満ちた世界となるのである。
ライプニッツは、賢明で善良な絶対者を前提とした上で、賢明であられるからこそ、あらゆる可能性の中で最善の世界を考えつかれ、善良であられるからこそ、最善の世界の中に人間を創られたと推論してゆくのである。
(つづく)