理念哲学講義録  天川貴之

真善美聖の「理念哲学」の核心を、様々な哲学的テーマに基づいて、わかりやすく講義したものです。

第6章「厭世観と楽天観について」

第6章「厭世観と楽天観について」〔注解的続編〕(6)

〔注解的続編〕(6) ⑰ この点、仏教哲学は、「一切皆苦」(他、四苦八苦の真理など)という現象の真理と、「一切衆生悉有仏性」という理念の真理との両方が述べられているといえよう。 「一切皆苦」の現象の真理は厭世観的であるが、「一切衆生悉有仏性」…

第6章「厭世観と楽天観について」〔注解的続編〕(5)

〔注解的続編〕(5) ⑮ ショーペンハウアーの「意志の否定」とは、煩悩の自我の否定のことである。 本論文では、単純否定の厭世観の境地から、絶対肯定の楽天観の境地まで、弁証法的観点から一躍に進展するように述べているが、実は、その前にどうしても透…

第6章「厭世観と楽天観について」〔注解的続編〕(4)

〔注解的続編〕(4) ⑪ ショーペンハウアーの人間観の非常にニヒルな洞察について検討してみたい。 ショーペンハウアーによると、人間とは絶えざる欲求の状態にあって、それは苦悩である。そして、欲求が満たされると、その充実感はすぐに消えてしまって、…

第6章「厭世観と楽天観について」〔注解的続編〕(3)

〔注解的続編〕(3) ⑨ 日本においても、明治から昭和にかけて、谷口雅春という光明思想家がいた。彼の根本思想は、唯神実相哲学である。 唯神実相哲学とは、人間の実相は神であるという思想であり、その点で、エマソンと共通である。 このように、本当の楽…

第6章「厭世観と楽天観について」〔注解的続編〕(2)

【注解的続編】(2) ⑤ 楽天観の代表であるエマソンは、よくエマソンの本質を知らない人々から、人生の不幸や苦悩をあまり体験しなかった方であると思われがちである。これは、楽天観を持つ人々について一般的にいえることであろう。 しかし、実際にエマソ…

第6章「厭世観と楽天観について」〔注解的続編〕(1)

〔注解的続編〕(1) ① 楽天観においては、人生の明るい面、世界の明るい面を強調して洞察してゆく傾向があるが、これは、近代アメリカを中心にして思想潮流となった光明思想と軌を一にする考え方である。 ② 光明思想は、「類は友を呼ぶ」という心の法則に…

第6章「厭世観と楽天観について」第6節

第6節 大楽天観の哲学 究極の絶対者の御心は、遠大で深遠で、何故にかくの如き人間と世界を創られたのかは充分に忖度しえない。 しかし、徹底的なる叡智と愛の実在であられるから、必ず、地上の人生と世界の形式の裏には、遠大で深遠なる意志があられるはず…

第6章「厭世観と楽天観について」第5節

第5節 苦悩と絶対者の意図 さらに、「人生と世界の本質は苦悩である。」という見解についても、より高次なる立場から解釈しておきたいと思う。 「人生と世界の本質は苦悩である。」ということは、通常の煩悩の内にある人間にとっては真理である。 この原理…

第6章「厭世観と楽天観について」第4節(2)

さらには、人生の本質、世界の本質を深く深く探究すると、人間の本質にも光輝く理念があり、世界の本質にも光輝く理念が横たわっていることが認識されてくる。 これらの光輝く理念を観ずるためには、まず何よりも、自己の内なる光輝く理念を発見し、磨き出し…

第6章「厭世観と楽天観について」第4節(1)

第4節 人生の諸段階の弁証法的考察について(1) それでは次に、厭世観と楽天観における人生の諸段階の弁証法的考察を論じてゆきたいと思う。 まず、あまり人生を経験しないで、人生を深く見つめない段階における楽天観がある。 この楽天観は、底の浅い楽…

第6章「厭世観と楽天観について」第3節

第3節 両哲学を止揚した楽天哲学について そこで、この両者の厭世哲学と楽天哲学を比較検討してゆくに、まず、根本的な実在観についてであるが、大宇宙の摂理、大自然の摂理、そして、人間の摂理をよくよく洞察してみた時に、そこに、限りなく合理的な叡知…

第6章「厭世観と楽天観について」第2節

第2節 ショーペンハウアー哲学とライプニッツ哲学について 例えば、厭世観の代表的な哲学者として、ショーペンハウアーを挙げることができるが、彼は、人生の根底にあるもの、世界の根底にあるものは、非合理な盲目的意志であると述べている。 すべての根底…

第6章「厭世観と楽天観について」第1節

第1節 厭世観と楽天観について 厭世観と楽天観について論じてゆきたい。 これは、人生の本質、世界の本質を、根本的にいかに洞察するかという点において、異なった観方が生じてくるというものである。 厭世観においては、人生の暗い面、世界の暗い面が強調…