理念哲学講義録  天川貴之

真善美聖の「理念哲学」の核心を、様々な哲学的テーマに基づいて、わかりやすく講義したものです。

第7章「知識と叡智について」(3)

 第3節  知的生活の心得について

 

 では、知的生活を送り、知的探究の旅に出るにあたっての大切な心得について述べてゆきたい。

 まず第一は、かつてソクラテスが説かれたように、自らの「無知」を自覚することである。たとえどのように数多くの知識をもっていても、いや、もっているが故に、本当に何も真に分かっていないことが分かってくるのである。よくよく自己の知を自己観照してみれば、知っているようにみえて、人間の本質と世界の本質が真には観えていないことに気づくのである。

 

 第二に、「無知」の自覚故に、真なるエロスを発現させ、限りなく知を愛し、愛し求めてゆこうとする情熱が大切である。知的情熱、哲学的情熱というものはあるのであって、限りなく真なる知を求めて、学び、探究してゆこうとする精神態度が大切なのである。

 

 第三に、手段の知ではなく、目的としての知を求めてゆくことである。「~のための」学問、例えば、受験のための学問、記憶のための学問、資格取得のための学問というものをされている方は多いが、それはまだ、知の探究における純粋性があまりないといえるのである。

 真の知を探究するためには、「それを学ぶこと自体が尊い」学問を探究してゆかなくてはならないのである。この時に、限りなく知的に純化され、知的高みに向けて飛翔してゆくことができるのである。

 故に、すぐに役立つ実用的な学問も時には大切ではあるが、原則として、すぐには役に立たない教養的な学問を積んでゆくことが大切なのである。

 例えば、大学生などでは、学校の授業でよい成績を取るための学問だけではなくて、そうした枠をはるかに超えた幅広い教養を積んでゆくことが大切なのである。

 また例えば、ビジネスマンなどでは、仕事に即、結びつく学問だけではなくて、そうした枠をはるかに超えて、全人格を陶冶してゆくつもりで、幅広い教養を積んでゆくことが大切なのである。

 まさしく、目的としての学問は、生涯学習そのものであって、人生全体をかけて学び、修めてゆくものなのである。

 

 第四に、より高貴なる精神、より崇高なる精神に触れてゆくことである。書物の本質とは、それを書いた方の精神のエッセンスであるといえよう。

 故に、ただ単に知識的に理解しようとすることなく、その背後にある著者の精神そのものに触れ、感動し、自己の精神の糧としてゆくことが大切なのである。

 精神の世界においては、偉人と凡人の差は、まさしくエベレスト山の如き巨人と、砂山の如き小人との差があるのである。精神界の巨人の魂に触れ、それを常に理想像として、自己の精神を限りなく向上させてゆくことが、無限の精神の生長をもたらすのである。

 

(つづく)