第7章「知識と叡智について」(4)
第4節 知識の本質について
それでは次に、知的探究をしてゆく上で、知性の質に違いがあることを述べてゆきたい。そのことは、知的探究の大いなる指標となることであろう。
知性の質は、知識と知恵と叡智に大きく分かれる。原則として、叡智にゆく程、より高次な知性であるといえるが、そのどれもが相補って大切であるともいえる。
まず第一に、知識についてであるが、この段階においては、情報として記憶しているだけで、概念の内実を真に認識しえていない表面的な知であるといえよう。
その大部分は、肉体的な頭脳によって保たれているといっても過言ではなく、いわば、コンピューターにインプットされて保存されている知であるといってよいであろう。
この段階では、物事の本質がよく観えていないので、思想として世に問うても、充分な生産性をもたない段階であるといえよう。
大抵の場合、有名な哲学者、思想家、学者の引用を主体として、自分の思想はほとんどなく、知識と知識をつなぎ合わせたようなものになりやすい。
そして、その表現は不明瞭で自信のない調子であり、全体として心に深く響かないものである。
この知性の特徴は、物事を分けて思考し、部分的、専門的に探究してゆく性格が強く、そのためか、枝葉と幹とがはっきりしないばかりか、枝葉に入り込みすぎて、幹が見えなくなっていることが多い。
しかし、知識が豊富であること自体は尊いことであり、真なる知を底支えするものであるといえよう。
(つづく)