第6章「厭世観と楽天観について」第5節
第5節 苦悩と絶対者の意図
さらに、「人生と世界の本質は苦悩である。」という見解についても、より高次なる立場から解釈しておきたいと思う。
「人生と世界の本質は苦悩である。」ということは、通常の煩悩の内にある人間にとっては真理である。
この原理について、何故このようになっているかと考察してゆくと、そこに、絶対者の意志があられると言わざるをえないのである。
しかし、この絶対者とは、ショーペンハウアーの述べるような「盲目的」な実在ではない。限りなく合理的な叡智的実在である。
この地上は、あえて絶対者が、煩悩に包まれたままでは苦悩の人生となることが予定されていると考えられるのである。
故に、かかる絶対者の配慮を忖度すれば、地上のありとしあらゆるものは、それがたとえ苦悩の源であっても、積極的に受けとめなければならないということになるのである。
その意味で、人生の上でおこるすべてのことは無駄はなく、すべては精神の糧であるといえるのである。
ある時は、精神を磨く砥石になって下さっているし、ある時には、人生の芸術を彩る素材になって下さっているものなのである。
(つづく)