第6章「厭世観と楽天観について」〔注解的続編〕(6)
〔注解的続編〕(6)
⑰ この点、仏教哲学は、「一切皆苦」(他、四苦八苦の真理など)という現象の真理と、「一切衆生悉有仏性」という理念の真理との両方が述べられているといえよう。
「一切皆苦」の現象の真理は厭世観的であるが、「一切衆生悉有仏性」の理念の真理は楽天観的であるといえよう。
前者が小乗仏教的であり、後者が大乗仏教的であり、しかして、両者を統合したものが、本来の仏教哲学であるといえる。
⑱ 仏教哲学においては、「生」(生まれる苦しみ)、「老」(老いる苦しみ)、「病」(病になる苦しみ)、「死」(死ぬ苦しみ)の四苦以外に、「愛別離苦」(愛する者と別れる苦しみ)、「怨憎会苦」(憎しむ者と出会う苦しみ)、「求不得苦」(求めても得られない苦しみ)、「五陰盛苦」(煩悩が盛んなる苦しみ)を入れて、八苦の洞察がある。
これらは、確かに地上に生きている限り、万人が必然的に遭遇する経験であるといえよう。この洞察の背後には、地上の現実に対するリアリストとしての釈尊の姿勢がうかがえる。
⑲ これらの一切の苦は、四諦八正道によって、真理によって断つことができ、一切の苦を断った涅槃寂静の境地に入ることができると説かれている。ここまでが、仏教における現象の真理である。
⑳ 仏教哲学においては、一方で仏性論があり、自己の仏性に目覚めれば、すべてのものの中に仏性を観ずることができるとされている。
そして、仏性を顕現してゆくことによって、肉身そのままで、天上界の境地と、それに伴う悦びを獲得できる。また、その境地に立つと、周囲の世界が、天上界の如く観えてくるとされている。
この教えは、仏教における理念の真理である。ここに、リアリストであると同時に、イデアリストとしての釈尊の姿勢をうかがうことができる。
(終) 本論文で述べた諸段階の絶対肯定の楽天観と、終わりに述べた大楽天観とは、微妙に異なる。
前者が理念の真理の立場であるとするならば、後者は、理念の真理と現象の真理を共に包含する立場なのである。
例えていえば、絶対肯定の楽天観を光とし、単純否定の厭世観を闇とするならば、大楽天観とは、光と闇を共に包む、絶対無の如き立場なのである。
これを、理念の真理と現象の真理を包む、大理念の真理の立場といってもよいものである。
(おわり)