第8章「現象と理念美について」(13) 天川貴之
〔注解的続編〕(1)
① 理念哲学の代表として挙げているプラトンやヘーゲルの哲学においても、自然の奥なる精神性、理念は、充分に探究されているとはいえない。
その中にあって、エマソンは、自然の奥に積極的に精神性、理念を認めているといえよう。
例えば、プラトンにとっては、自然とはイデアの影以上の何物でもなかったが、エマソンは、自然の内に積極的に絶対者の象徴性を見出し、自然を通して絶対者と合一する道を説いたのである。
② エマソン等が述べるように、自然の奥なる理念美を観ずるためには、自我を虚しくし、無我の境地になって、自然の奥なる理念美と合一しなければならない。
これは、自然の奥なる理念美と、無我故に顕れる人間の奥なる理念美との主客合一の境地であるといえよう。かかる境地においては、エクスタシーが感得されるのである。
③ 釈尊が成道の時の悟境として、「山川草木国土、悉皆成仏」と観じられたのは、自然の奥なる理念美が、悟りの結果顕れた精神の理念美に照らし出されることによって、観じられたことをあらわしているといえよう。
これに類する境地を、禅などでは「見性」という。この場合は、芸術的見性と名付けてもよいであろう。
このように、仏教の自然哲学は、本論文中の自然哲学と軌を一にしているといえよう。
(つづく)
by 天川貴之