第9章「経験と叡智的直観について」第3節(1) 天川貴之
第3節 知的直観について(1)
仏教における般若の智慧というものも、これは、直観的理性の働きであるといえるのである。
仏教においては、仏となる最後の修行であり、究極の完成したる修行である徳目は、般若波羅蜜多と呼ばれているが如く、般若の智慧の完成である。
般若の智慧によって、あらゆる現象界の執着を断ち切り、法の世界、真理の世界そのものに参入してゆくことこそ、如来の境地であり、そのような奥義が、仏教の中で修行論として説かれているのである。
東洋哲学の流れの中に、無の哲学というものがある。主に禅宗の流れであるけれども、この禅宗の流れで最も大切な精神の一つは、不立文字ということである。言葉では説明できない世界である。
西洋では、言葉を積み立てることによって思考し、真理を獲得するという方法論が採られていたわけであるが、東洋においては、直視参入してゆくこと、真理そのものの奥義を、言葉を立てずして掴むこと、そこに本領があるのであり、これは、洋の東西を分かれて異なった性格をもって出てきたところの、真理獲得の方法論の一形態であると言えるのである。
真理を獲得するということ、理念を獲得するということにおいては同一のものであるが、東洋においては、一般に言われる西洋的なる思考方法と対極的なる、東洋的なる思考方法を採ることによって、また違った真理への到達の道があるのであるということが、歴史の中で証されたわけである。
(つづく)
by 天川貴之