第9章「経験と叡智的直観について」(2) 天川貴之
第2節 理性の働きについて
西洋の哲学においては、この理性の働きというものに着眼した初めての方は、プラトンであると言えるのである。
すなわち、真実なる理性的認識の大切さというものを、その眼目を説いた方は、プラトンであり、プラトンから哲学が始まっているといわれているが如く、理性の本質というものを探究するところから、哲学の営みが始まったといえるのである。
ところで、理性というものが、一体如何なるものであるかということを考えてみた時に、この理性というものの性質の中にも、様々な特性があろう。
西洋のアリストテレス以降の課題であったところの、論理性を限りなく積み上げてゆくことによって、客観的なる認識を積み重ねてゆくという思考方法は、これは、理性の一面であって、トータルな理性の姿を語っているとはいえない。
理性の中には、確かに論理性という法則そのものに基づいて、秩序だって体系的に述べ伝えてゆく思考方式があるが、これは、理性のいわば外殻のようなものであって、理性の内実というものは、それだけでは説き明かすことができない。
アリストテレスに欠けていたものでありながら、プラトン哲学の源にあったものとは、もう少し深い直観的な理性の認識方法であったのではないかと思う。
その源とは、プラトンにあったけれども、そのプラトンを、プロティノスという学者が、さらに理性的直観の哲学として押し進め、アリストテレスに欠けていたところをプロティノスが補ったという、哲学史上の位置づけを与えることもできるのである。
このプロティノスの直観的理性の働きというものは、私達が主に悟りというもので呼んでいる領域、もしくは、信仰という名で呼んでいる宗教の領域と接点をつくる上で、非常に大切な考え方であろう。
(つづく)
by 天川貴之