第8章「現象と理念美について」(6) 天川貴之
第5節 理念美の段階性と個性の多様性について
そして、この美にも段階の違いがあるといえるのであり、それは、理念に段階があるのと同じである。
本来の理念とは、絶対者そのものであり、真理そのものであるといえるが、同時に、理念にも顕現レベルに差があるということでもあり、その意味で、段階の差を、美そのものの顕現度合いに応じて表現することも可能であり、現実の実態的認識にも即しているものと思われる。
故に、自然の内奥に入ってゆけばゆく程に、自己の精神を深めてゆけばゆく程に、より大いなる美を認識することができるのである。
このように、究極の理念美を頂点として、理念美には段階があり、また、個性の多様性もあるものが自然美の本質であり、人間の奥なる美の本質なのである。
例えば、通常の方が「美しい」と観じた自然の理念美と、ゲーテやエマソンやルソーなどが「美しい」と観じた自然の理念美とは無限の隔たりがあるのであり、それが、境涯の差となっているのである。
また、ゲーテもエマソンもルソーも、それぞれ個性をもった自然の理念美を観じており、故に、それぞれの自然に対する理念美の表現にも個性差があるといえるのである。
自然を見ても、現象を現象としか観ずることのできない方もおられるかもしれないが、そうした方にとっては、自然は美の対象にならない。そうした方は、精神の内なる理念美が未だ顕現していないのであるといえる。
精神の内なる理念美が顕現してゆけばゆく程に、いわば、美の境涯が上がれば上がる程に、自然の理念美は、自ずから輝き出すのである。
結論として、自然美については、現象の自然の根底には理念美が実在し、それは、人間の精神の内奥にある理念美の顕現度合いによって認識されるということである。
(つづく)
by 天川貴之