理念哲学講義録  天川貴之

真善美聖の「理念哲学」の核心を、様々な哲学的テーマに基づいて、わかりやすく講義したものです。

第5章「唯物学術と理念学術について」(9)

【注解的続編】(3) 四、「理念政治学」について 五、「理念法学」について • 理念政治学とは、国家の意志決定において、理念に正しさの根拠を求める政治学である。 • 故に、理念を真に認識できる哲人政治家によるリーダーシップが待望されるのである。 • …

第5章「唯物学術と理念学術について」(8)

〔注解的続編〕(2) 二、「理念道徳学」(理念倫理学)について • 「理念道徳学」は、かつて道徳形而上学を打ち立てられたカント哲学やフィヒテ哲学の延長上に理論構築してゆけるものであろう。 • すなわち、「叡知界」(理念界)に属する各自の普遍の道徳…

第5章「唯物学術と理念学術について」(7)

〔注解的続編〕(1) 一、「理念哲学」について • 「理念哲学」の最大の課題は、ギリシャのイデア哲学を源とする存在論哲学と、ドイツ観念論哲学を源とする認識論哲学との統合であろう。 • 「イデア」は、カント哲学においては、ほぼ「物自体」にあたる。カ…

第5章「唯物学術と理念学術について」(6)

第6節 理念社会の実現について そして、かかる理念思想の流布と確立によって、社会は、国家は、世界は、史上最高最大最深のユートピアとなってゆくのである。 このような理念型ユートピアにおいては、政治も経済も教育も家庭も、崇高なる理念によって運営さ…

第5章「唯物学術と理念学術について」(5)

第5節 「理念学術体系」の樹立について また、理念に目覚めることが、人間に真なる生命を吹き込むことであるように、哲学の内に理念を顕現させることが、哲学に真なる生命を吹き込むことになるのである。 さらに同じように、哲学は「諸学の学」であるから、…

第5章「唯物学術と理念学術について」(4)

第4節 新時代の「理念哲学」について こうした学問潮流の背景にあって、現代の唯物的社会を変革してゆくためには、新しき観念論哲学を興隆しなければならないといえる。 そこで考えてみるに、プラトンのイデア論とカントの物自体論とを止揚統合したヘーゲル…

第5章「唯物学術と理念学術について」(3)

第3節 「精神論」の大切さについて それでは、唯物的社会にあって、人間と社会の堕落と崩壊を防ぐものは何であろうか。それこそ、私は「精神論」であると答えたい。 「精神論」こそが、人間を真に向上させ、堕落から防ぐ原動力となるものであり、人間によっ…

第5章「唯物学術と理念学術について」(2)

第2節 唯物論の弊害について そうすると、宗教や道徳が成り立たなくなり、人間を根本的に規定する価値規範がなくなってくる。その結果として、人々は刹那主義となり、快楽追求型の人生を送りがちになってしまう。 現に、今の大学生をみても、真剣に精神的教…

第5章「唯物学術と理念学術について」(1)

第1節 唯物論について 唯物学術と理念学術について述べてゆきたい。 唯物学術の根底には唯物論があり、理念学術の根底には観念論がある。 哲学史の伝統の中で、唯物論と観念論というものは、対立したものとして、各々の時代に思想潮流としてあった。 そこで…

第4章「存在と実在について」〔注解的続編〕(5)

〔注解的続編〕(5) ⑲ 本論文の認識論とカントの認識論についても述べておきたいと思う。本注解において「見性」と述べたものは、仏性を見ることであるが、これを哲学的に置き換えてみると、理性を見ることにあたる。 すなわち、本論文の認識論とカントの…

第4章「存在と実在について」〔注解的続編〕(4)

〔注解的続編〕(4) ⑭ 執着の対象とされていた物、金銭、名誉、地位、異性なども、認識主体の境地によって、存在価値が変わってくるものである。 ⑮ 第一段階は、「すべてのものは自分のものである。」と観じている境地である。これは、執着の認識であり、…

第4章「存在と実在について」〔注解的続編〕(3)

〔注解的続編〕(3) ⑪ 仏教でいわれている般若の智慧とは、哲学においては、顕現せる理性にあたり、両者共、形而上学上の精神的実在を認識する知性であるといえよう。 仏教やプラトン哲学においても多少述べられているが、般若の智慧や理性をいかにすれば…

第4章「存在と実在について」〔注解的続編〕(2)

〔注解的続編〕(2) ⑥ 本論文においては、単なる存在論のみならず、「心」を中心とした独自の認識論が論じられている。すなわち、心境によって認識される世界が異なるという真理が洞察されているのである。 従来より、仏教等の世界では、心境によって見え…

第4章「存在と実在について」〔注解的続編〕(1)

〔注解的続編〕(1) ① 本論文の特徴の一つは、プラトンのイデアの世界を、心の内奥の世界と規定している点であろうと思う。 ② かかる観点は、仏教哲学における「三界は唯心の所現である。」という考え方と似ている。 仏教哲学においては、本来的に天国も地…

第4章「存在と実在について」第6節(2)    天川貴之

第6節 心の内奥なるイデアを顕現せよ(2) 「その人の考えていることが、その人自身である。」とは、マルクス=アウレリウスの言葉であるが、その人がイデア的なるものを常に考えているとするならば、それだけその人は、イデア的人間として生きているとい…

第4章「存在と実在について」第6節(1)    天川貴之

第6節 心の内奥なるイデアを顕現せよ(1) 心の内奥には、あらゆるものがある。すなわち、地上のありとしあらゆるものの原型が、心の内奥にはあるのである。その意味で、地上のありとしあらゆるものは、心の世界の影であるともいえるのである。 心の内奥の…

第4章「存在と実在について」第5節(2)    天川貴之

第5節 イデアの属性としての崇高なる感情について(2) さらに、天上的な大欲に目覚めてきた時に、不思議と、今まで小欲の対象であると疎まれてきた物、金銭、名誉、地位、異性など、すべてのものの本質が観えてくるようになるのである。 それらは、実は、…

第4章「存在と実在について」第5節(1)    天川貴之

第5節 イデアの属性としての崇高なる感情について(1) さて、この真実在たるイデアの属性として、愛と夢と情熱などの崇高なる感情について洞察してみたいと思う。 これらの感情もまた、真に実在性を帯びて認識し、実感できるためには、この世的欲望から自…

第4章「存在と実在について」第4節  天川貴之

第4節 イデアの認識について さらに、第三段階として、この内奥にある所のイデアを認識するという段階がある。この世的なるものが、すべて夢幻の如く観えてきた時に初めて、その奥に、真なる実在であると思えるものが認識されてくる。 それはあたかも、今ま…

第4章「存在と実在について」第3節  天川貴之

第3節 無執着の認識について 第二段階として、我々の地上的なる欲望を統御して、地上的なる執われから自由になった段階である。ストア哲学の意図する所も、地上的な欲望から精神を解放することであって、それこそが、真なる幸福の道であるといわれているの…

第4章「存在と実在について」第2節  天川貴之 

第2節 通常の認識について まず、第一段階としては、我々の通常の存在の認識である。 我々は、地上的なものに執われた認識をしている。 例えば、まず何よりも物質に執われ、この世的なる存在が全てであるかのような世界観に執われ、また、地上的な欲望とし…

第4章「存在と実在について」第1節  天川貴之 

第1節 本当に「有るもの」について 存在と実在について述べてゆきたい。 存在とは有るものである。しかし、プラトンの時代から、本当に「有るもの」といえるものは何かという問いが発されつづけているのである。 通常の我々の意識においては、地上世界にお…

第3章「快楽と幸福について」〔注解的続編〕(9)

〔注解的続編〕(9) ① 本論文の中で、「大自然の摂理にかえれ」という言葉がでてくるが、この考え方はストア哲学にもあるが、近代のルソーの説えた「自然にかえれ」という考え方と本質的に一致する。 ルソーは、パリの社交界において最大の寵児であったが…

第3章「快楽と幸福について」〔注解的続編〕(8)

〔注解的続編〕(8) ① 「快楽が苦である」という見解は、仏教の中に流れている思想と相通ずるものがある。仏教では、人生について、「一切皆苦」といわれている。ここでいう人生とは、悟りのない「迷いの人生」のことである。すなわち、悟りによって解脱し…

第3章「快楽と幸福について」〔注解的続編〕(7)

〔注解的続編〕(7) 快楽としては、他に、酒やタバコや大声で騒ぎたてることが一緒になっている遊びに多くの人々があけくれている。 しかし、それも節度を超すと、人生を誤りやすい。何故なら、酒もタバコも、理性の目覚めを妨げ、あえて理性にふたをする…

第3章「快楽と幸福について」〔注解的続編〕(6)

〔注解的続編〕(6) 金銭欲については、現代社会においては、貨幣経済となっているが故に、地上的なる欲望の対象が金銭そのものになることが多い。 しかし、金銭そのものに価値があるかといえば、そうではない。金銭を通して何をせんとしているのかが大切…

第3章「快楽と幸福について」〔注解的続編〕(5)

〔注解的続編〕(5) 地位欲についてであるが、地上における地位は、必ずしも、心の高下や理性の顕現度合いに応じているとは限らない。 故に、たとえ首相の地位にある方であっても、その心が低く、理性を充分に顕現しておられなかったとすれば、心を常によ…

第3章「快楽と幸福について」〔注解的続編〕(4)

〔注解的続編〕(4) 名声欲についてであるが、誰しも本能的に、自分が認められたいという欲求をもっている。それ故に、名声欲も自然な欲求の一つといえよう。 しかし、過度の名声欲は、人を正しい道から外れさせることが多い。歴史を振り返ってみても、同…

第3章「快楽と幸福について」〔注解的続編〕(3)

〔注解的続編〕(3) ④ 物欲については、例えば、家であるとか、土地であるとか、衣装であるとか、車であるとか、宝石であるとか、過度に物に執われて生きることに問題があるといえる。 現代程、物質面において豊かになった時代も珍しいが、逆に、現代程、…

第3章「快楽と幸福について」〔注解的続編〕(2)          天川貴之

〔注解的続編〕(2) ③ 性欲についてであるが、性欲の根源にあるものは、大自然の摂理であり、自然なものは肯定されるべきであり、全面否定することが真のストイシズムではない。 ただし、性の欲求というものは、フロイトがすべての人類の営みの根底にある…