理念哲学講義録  天川貴之

真善美聖の「理念哲学」の核心を、様々な哲学的テーマに基づいて、わかりやすく講義したものです。

2020-01-01から1年間の記事一覧

第7章「知識と叡智について」(10) 天川貴之

第10節 新時代を「叡智の結晶」として建設せよ 以上、論じてきたように、知の究極には、知識を超えて、知恵を超えて、叡智が実在するのである。 現代の知識社会を、新時代にむけて、より高度な知の社会へと変革してゆくためには、知恵の価値認識、そして何…

第7章「知識と叡智について」(9) 天川貴之

第9節 叡智を獲得する方法について 第三に、叡智についてである。まず、新しい時代精神を探究してゆくのであるから、今の時代において、当然のこととして前提となっている思想潮流を根源的に問い直してゆくことが大切である。 そして、今後、何百年、何千年…

第7章「知識と叡智について」(8)

第8節 知恵を獲得する方法について 第二に、知恵についてである。一定量の読書をして、ある程度知識的前提が出来たならば、今度は、多読を控えて、自分自身の頭で思索する習慣をつけてゆくことが大切である。 読書をすることは、いわば、受け身な形で著者の…

第7章「知識と叡智について」(7)

第7節 知識を獲得する方法について さて、そこで、こうした知性を獲得する方法についても述べておきたい。 まず第一に、知識についてであるが、始めに、孤独な時間を確保してゆくことが大切である。 独り静かに読書に没頭できるようなライフスタイルをつく…

第7章「知識と叡智について」(6)

第6節 叡智の本質について 第三に、叡智についてであるが、この段階においては、根源的なる思索によって把握している段階であり、概念の奥にある理念を真に認識している、知恵より高次な知であるといえよう。 かかる知に到るためには、心の内なる理念を顕現…

第7章「知識と叡智について」(5)

第5節 知恵の本質について 第二に、知恵についてであるが、この段階においては、思索によって把握している段階であり、概念の内実を真に認識しえている深い内奥なる知であるといえよう。 かかる知に到るためには、心の開拓、精神の開拓が必要であり、内なる…

第7章「知識と叡智について」(4)

第4節 知識の本質について それでは次に、知的探究をしてゆく上で、知性の質に違いがあることを述べてゆきたい。そのことは、知的探究の大いなる指標となることであろう。 知性の質は、知識と知恵と叡智に大きく分かれる。原則として、叡智にゆく程、より高…

第7章「知識と叡智について」(3)

第3節 知的生活の心得について では、知的生活を送り、知的探究の旅に出るにあたっての大切な心得について述べてゆきたい。 まず第一は、かつてソクラテスが説かれたように、自らの「無知」を自覚することである。たとえどのように数多くの知識をもっていて…

第7章「知識と叡智について」(2)

第2節 知的生活の意義について このように、知的探究をしてゆくにあたっては、何よりも知の質というのが大切になってくるのである。そして、真なる知を学ぶことによって、真なる知者となってゆくことが大切なのである。 ここでいう真なる知者とは、真に学徳…

第7章「知識と叡智について」(1)

第1節 真の知と真の知者について 知識と叡智について論じてゆきたい。 現代は、歴史的にみても、非常なる知の時代であって、膨大な量の知識が情報として飛び交っている。大型書店にいけば、毎年毎年、大量の本が出版されては、大洪水の如く氾濫し、すぐ様、…

第6章「厭世観と楽天観について」〔注解的続編〕(6)

〔注解的続編〕(6) ⑰ この点、仏教哲学は、「一切皆苦」(他、四苦八苦の真理など)という現象の真理と、「一切衆生悉有仏性」という理念の真理との両方が述べられているといえよう。 「一切皆苦」の現象の真理は厭世観的であるが、「一切衆生悉有仏性」…

第6章「厭世観と楽天観について」〔注解的続編〕(5)

〔注解的続編〕(5) ⑮ ショーペンハウアーの「意志の否定」とは、煩悩の自我の否定のことである。 本論文では、単純否定の厭世観の境地から、絶対肯定の楽天観の境地まで、弁証法的観点から一躍に進展するように述べているが、実は、その前にどうしても透…

第6章「厭世観と楽天観について」〔注解的続編〕(4)

〔注解的続編〕(4) ⑪ ショーペンハウアーの人間観の非常にニヒルな洞察について検討してみたい。 ショーペンハウアーによると、人間とは絶えざる欲求の状態にあって、それは苦悩である。そして、欲求が満たされると、その充実感はすぐに消えてしまって、…

第6章「厭世観と楽天観について」〔注解的続編〕(3)

〔注解的続編〕(3) ⑨ 日本においても、明治から昭和にかけて、谷口雅春という光明思想家がいた。彼の根本思想は、唯神実相哲学である。 唯神実相哲学とは、人間の実相は神であるという思想であり、その点で、エマソンと共通である。 このように、本当の楽…

第6章「厭世観と楽天観について」〔注解的続編〕(2)

【注解的続編】(2) ⑤ 楽天観の代表であるエマソンは、よくエマソンの本質を知らない人々から、人生の不幸や苦悩をあまり体験しなかった方であると思われがちである。これは、楽天観を持つ人々について一般的にいえることであろう。 しかし、実際にエマソ…

第6章「厭世観と楽天観について」〔注解的続編〕(1)

〔注解的続編〕(1) ① 楽天観においては、人生の明るい面、世界の明るい面を強調して洞察してゆく傾向があるが、これは、近代アメリカを中心にして思想潮流となった光明思想と軌を一にする考え方である。 ② 光明思想は、「類は友を呼ぶ」という心の法則に…

第6章「厭世観と楽天観について」第6節

第6節 大楽天観の哲学 究極の絶対者の御心は、遠大で深遠で、何故にかくの如き人間と世界を創られたのかは充分に忖度しえない。 しかし、徹底的なる叡智と愛の実在であられるから、必ず、地上の人生と世界の形式の裏には、遠大で深遠なる意志があられるはず…

第6章「厭世観と楽天観について」第5節

第5節 苦悩と絶対者の意図 さらに、「人生と世界の本質は苦悩である。」という見解についても、より高次なる立場から解釈しておきたいと思う。 「人生と世界の本質は苦悩である。」ということは、通常の煩悩の内にある人間にとっては真理である。 この原理…